住吉の松は、大阪市住吉一帯の松林。作者は、『海の細道』の旅のはじめに大阪市・住吉大社へお参りした。住吉大社には、航海の神と和歌の神である住吉神が祀られている。住吉神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が筑紫で禊をしたときに生まれたという、表筒男命(うわつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・底筒男命(そこつつのおのみこと)の三神である。住吉神は、禊の神でもある。掲句はその住吉大社の境内に残る松を詠んでいる。
 ところで能「高砂」では、阿蘇の神主友成の前にあらわれた高砂の松と住吉の松の精である老夫婦から、相生の松のいわれをきく。友成「かしこは住の江」、老翁「ここは高砂」、友成「松も色そい」、老翁「春ものどかに」。「のどかさよ」は、能「高砂」への敬愛を表すものだ。また、船で明石へ行く日に詠まれた句である。作者は、熊本県の出身。友成に自らを重ねていただろう。これだけのことが一句にこめられている。
 が、掲句は、この上なく大らかでのびのびとゆったりとしている。俳句を読むということが怖くなる一句である。(藤原智子)

 2011年、作者が京都、大阪から長崎、西国への旅に出た際の句。死の直前、芭蕉が洩らしたその遺志を実現した旅である。
 題材は、明石への船旅の出発地、大阪伝法港のすぐそばにある、住吉大社の松。江戸時代まで住吉大社の眼前まで白砂青松の海辺であった。そこにあったのが住吉の松(すみのえのまつ)である。古くからの歌枕であり、『竹取物語』や謡曲「高砂」の題材でもある。また、『源氏物語』には、光源氏が住吉大社で明石の君と再会した際に詠んだ歌が記されている。
 船旅の直前、住吉大社に参詣した際の掲句には、自らの旅の安全を祈るとともに、住吉の松を敬愛する気持ちが表れている。「高さよ」「のどかさよ」という「かさよ」の音の連続がリズムを作り、対比の効果を高めている。あえて意味を解釈すれば「長く信仰され、詩歌に詠われてきた住吉大社の松は、何と高いことよ。そして松を包むのどかで落ち着いた日和は、これからの平穏な旅を予言するかのようだ」というあたりだろうか。(臼杵政治)

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