『海の細道』は芭蕉が夢見た西国への道を辿った紀行。この句は第一章中「芭蕉の夢」の後の「杜甫の舟」の最後に出てくる。そこまでの文章を読めばこの舟の中に芭蕉の遺体があることが分かる。作者はこころでこの「舟」を見ている。芭蕉の死を悼む作者の気持ちが、「冬の月さし入る」によってより深まっているように感じるのはしずかさのせいだろうか。「冬の月」の淡い光によってそこに聞こえるはずの波の音が一瞬消える。
 俳句は独特の文学で句集の一句が独立して眼前に置かれることがある。この句の場合はどうだろう。芭蕉のことを言わないことによって、焦点は絞りにくくなるかもしれない。しかしその分それぞれの読み手にとっての「涅槃」にふさわしい人を思い浮かべることになり、それがこの句に広がりを持たせる。「冬の月」が読み手の回想をスムーズに引き出す橋渡しをする。芭蕉と作者のこころをつないだ「冬の月」のか弱くも明らかな光が今度は作者と読者のこころをつなぐことになるだろう。
 俳句には詠み手と読み手がいる。両者のこころは句中に措かれた言葉が醸し出す思いを媒体にして緊密につながっている。(三玉一郎)

 「涅槃(ニルヴァーナ)」とは、具象としては釈迦の入滅を指すが、概念としては、煩悩が消え、苦しみから解放された究極の境地をいう。句文集『海の細道』(中央公論新社、2012)では、芭蕉の亡き骸が川を上って義仲寺に向かった出来事を思う場面に掲句が置かれている。旧暦10月12日に没した芭蕉は、冬の月の下を舟に揺られていただろう。
 一方、釈迦入滅は旧暦2月15日とされている。西行が〈願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ〉と詠んだ通り、春のことである。つまり、一句に冬と春が混在している。早とちりな人なら、矛盾だと怒り出すかもしれない。
 櫂は『海の細道』の旅を春から始める。『おくのほそ道』にならったものであろう。その芭蕉は西行の歌に憧れた俳人で、杜甫への憧れもあった(『海の細道』p.5〜10参照)。前述の西行の歌は涅槃への憧れである。このように、櫂の憧れには時空を超えた憧れが重なり合っている。そのさまざまな憧れの上に浮かんだのが掲句なのではなかろうか。
 はるかな時の中では、冬の死が春の涅槃にオーバーラップしたところで何の問題もない。というより、心の世界において真実なのなら、それが詩の真実だ。我々が今見ているちっぽけな現実がまやかしではないと一体誰に言えるのか。改めてそう思わされる一句である。(イーブン美奈子)

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