2011年3月11日、東日本大震災が起きた。文字通り、天地は一変し、人の暮らしも一変せざるを得なくなった。この変わりゆく世界を悲しみつつも、この世の無常を受け入れ、それでも前に進もうという力を感じる一句。
 この句において重要なところは、人と天地が並列に詠まれていることだろう。この句には、人(人間)が天地(自然)の一部として、変化を受け入れざるを得ないという前提がある。天地が変われば人も変わらざるを得ない。しかし、そこで嘆くわけではない。むしろこの嘆きを捨てる力が、この句を支えている。
 春ではなく秋なのは、この変化を捉えうるまでに時間を必要としたということだろう。人も天地も変わる。その変化を受け入れる時間であると同時に、自然の一部として埋没するだけの人間を捉えなおすことで距離が生じている。力はそこから湧いてくるのだ。
 もちろん東日本大震災と切り離して読むことも可能だし、そうすべきであろう。この一句で、老いという人ひとりの変化と季節のうつろいを思うこともできるし、または、鎌倉時代初期の随筆『方丈記』の世界を想像してもよいだろうし、あるいは新型コロナウイルスのようなパンデミック後の世界や温暖化する地球環境を想うことさえできる。
 もはや嘆いてばかりいられない。(関根千方)

 『震災句集』は、2011年3月11日の東日本大震災の約1年後に出版された。巨大地震と津波、原子力発電所の事故という未曽有の大災害に日本中が不安と混乱の渦に巻き込まれた。
 多くの命が奪われ、故郷を離れ避難生活を余儀なくされる人が数多いた。長谷川櫂は事故直後十日ほどは、憤懣とやるせない思いを怒濤のような荒々しいリズムで短歌に詠んだ。『震災歌集』が『震災句集』に先立って出版された。はからずも、短歌と俳句の違いを感じとることになった。2017年に『震災歌集 震災句集』(青磁社)が出版されたので、詩のリズムの違いを見ていただけたらと思う。
 俳句は全部言えない。だが掲句は、「人変はり天地変はりて」で大震災の惨状が描かれ、「行く秋ぞ」からは「間」が生み出す静かな心と、「ぞ」の強い意志が胸に迫ってくる。〈大地震春引き裂いてゆきにけり 櫂〉(『震災句集』)の無残な春から秋へ。どんな悲惨な状況であっても、時が止まることは無い。言葉の力をあらためて感じた。(木下洋子)

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