陀羅尼助(だらすけ)は腹痛の薬。吉野・大峯山の山伏たちが広めたとされる、古くからある薬で、元禄の頃に商品化されたらしい。苦さが特徴で、〈だらすけは腹よりはまず顔にきき〉という川柳ものこっている。
 掲句は、蟇が陀羅尼助を売っているわけではなく、陀羅尼助を売りに来た薬売りが蟇のようだったととるのが普通だろう。「ござりまする」という台詞からすると歌舞伎の一場面を想像する人もいるかもしれない。
蟇の風貌は、怪しさ、小賢しさ、それでいてどこか憎めない人間味を感じさせる。古くは鳥獣戯画をみればわかるように、擬人化されたカエルがたくさん描かれているし、現代でも宮崎駿の映画「千と千尋の神隠し」に出てくる人間(男性)はカエルのように描かれている。昔から、人が人を対象として見つめなおすとき、不思議とどこか狡猾でいて滑稽な怪しい生き物のようにみえるのだろう。
 しかし、本当にそうだろうか。掲句をもう一度読むと、「蟇のような人間」ではなく、「人間ような蟇」なのではないかと思えないでもない。本当は、人間に化した蟇が、人間のような言葉を使って、陀羅尼助を売っているのではないだろうか。読むたびに、どこか人間と蟇の関係が反転しかねない不思議な一句である。(関根千方)

 花の句会が吉野山で開催されるようになって、二十年。当然ながら、年ごとに開花状況は異なる。まだ蕾か、満開か、葉桜か。雨が降る時も、花冷えが堪える時もある。長谷川櫂は「花があろうと無かろうと」「晴でも雨でも」関係なく、その年のその時の花の句を詠む。我々句会参加者も同様である。とは言え、できれば一目千本の満開の花の山々を一望したいという願望はある。
 ただ、それが叶わなくても毎年、金峯山寺参道にある藤井利三郎薬房の商標になっている、三足蛙像「陀羅尼助」に再会する楽しみがある。まさに「陀羅尼助でござりまする」と役者が口上を述べる姿勢の大きな蟇が出迎えてくれる。陀羅尼助丸は胃腸に効く家庭用常備薬である。修験道の開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)が、山中に生えるキハダ(ミカン科の落葉高木)の皮を煮詰めたものが胃腸病に薬効があることを知ったという。七世紀末、疫病が流行した折には、病人を救うためキハダを煮詰めながら「孔雀明王陀羅尼助経」を唱えていたのが「陀羅尼助」の名前の由来と言われている。
 毎年、この蟇に会っている者にとっては、まさにの句であるが、馴染みのない読者には、調べなければ「はてなの句」になるのかもしれない。ただ「陀羅尼助でござりまする」と口上を述べる蟇から、芝居が始まる前の様なわくわく感が伝わってくるのではないか。(木下洋子)

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