「はるかな秋」が青い海を越えて今まさに来つつある。
 この島で過去に何があったとしても、「はるかな秋」はいつも通りにやってくる。
 「はるかな秋」はいったいどこからやってくるのだろう。それは「ニライカナイ」に違いない。他に何が考えられるだろうか。「ニライカナイ」は青い海の彼方にあると信じられている理想郷。
 「はるかな秋」も、鳥や花も、そして私たち人間も「ニライカナイ」からやって来て、「ニライカナイ」へと帰ってゆく。
 あらゆるものは姿を変えながら、宇宙を巡っている。
 この句はその一瞬を切り取っているのである。(村松二本)

 句集『沖縄』は一句一句が胸を叩く。戦争や政治に翻弄されながらも抗いながらも受け入れている(そうせざるを得ない)悲しさ、やさしさ、やるせなさ。恐らく充分に歴史検証した上での作者の寄り添う心なのであろう。
 どこまでもどこまでも青い海。そして掲句はどこまでも静謐である。上五から中七「海青くはるかな秋の」と俯瞰の眼差しだ。ずぶずぶと足元がめり込んでいきそうな程の怒りや悲しみを作者は、大きな呼吸ではるかな時間軸でとらえている。秋が近づいて来るにつれ、海の色は濃く澄み渡ってくるが、下五「来つつあり」にこれからもずっと沖縄に心を寄せていくという作者の思いが伝わる。戦争の愚昧と悲惨を静かに沖縄の海に照射しているのだ。その寂(しず)かな余韻に作者の思いの深さを感じ取る。
 次の二句も本句集に所収されている。〈やさしくて人に喰はるる鯨かな〉〈喰はれつつ人を憐れむ鯨かな〉。沖縄のやさしさが哀しみとなり、相手を憎むのではなく憐れんでいる。笑顔が目に浮かび、三線の音色が聴こえてきそうだ。沖縄の人々も哀しみをきっとあの青い海に静かに照射しているに違いない。(谷村和華子)

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