糸満市摩文仁は、沖縄戦最後の激戦地。南部に避難していた住民が戦闘に巻き込まれ、多くの人が犠牲となった。現実には、「摩文仁の骨をとり尽せず」ということではないのか。なぜ、「摩文仁は骨をとり尽さず」なのか。
 それは、こう詠むことで静けさが伝わるからではないか。摩文仁という地がそこで亡くなった人の骨を抱えてともに眠っているのだ。その静けさをより際立たせるのが「蜩や」である。戦争をイメージさせる季語ではない。摩文仁の丘を震わせるように鳴いていたのだろうか。
 摩文仁での苛烈な戦闘を、小さなやわらかい命の声と取り合わせ、静けさをたたえた一句にするのは非情である。が、その非情さを以ってしか、現実に対抗できない。(藤原智子)

 摩文仁の丘は沖縄本島最南端の岬であり、沖縄戦の最終盤に軍人あるいは民間人がここに追い詰められた。銃撃や火炎放射により戦死しただけでなく、降伏を避けて断崖絶壁から飛び降りて自決した民間人も多い。そのため米兵は「スーサイドヒル(自殺の丘)」と呼んだという。79年後の現在でも丘にはまだ遺骨が眠っており、ボランティアによる収集活動が続いている。
 この事実を題材に詠まれたのが掲句であり、夏の終わりを告げる蜩の声が、いまでも死者の骨、否、魂が地中に眠っている悲しさを強調する効果を持つ。人の生死に正面からぶつかる最近の作者の指向の延長にあると言えよう。
 掲句を含む『沖縄』は2015年夏の刊行で、沖縄、夏の死、火車の3章からなる。沖縄の章には掲句や〈潔き者から死ねり生身魂〉のような鎮魂の句、〈忽然と戦闘機ある夏野かな〉など、沖縄が置かれている現状を詠んだ句があり、他方で〈海青くはるかな秋の来つつあり〉〈星こよひ小島づたひに海の道〉などの美しい自然詠もある。掲句とこれらの句のコントラストが現地のやるせない状況を読者に突き付けている。(臼杵政治)

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