長谷川櫂には「籐寝椅子」を詠んだ句がいくつかある。〈籐寝椅子果実のごとき女あり〉(『蓬萊』)は印象派の絵画に登場する、果実のような女性の艶めかしい肢体が目にうかぶ。〈籐寝椅子その俤のよこたはる〉(『虚空』)は師である飴山實を偲んだ一句。〈籐寝椅子瞑想録をかたはらに〉(『虚空』)は『瞑想録』を傍らに置く籐寝椅子の人物に思いを馳せる。
 対象の全身像・俤を想起させる「籐寝椅子」に対して、掲句の「籐の椅子」には違った趣を感じる。〈籐椅子に形よき脚組みゐたり〉(『蓬萊』)は先の「果実のごとき女」に通じる艶めかしさはあるが、すらりとした脚を組んだ姿には、凛とした雰囲気もある。〈籐椅子や旅にしありて今朝の雨〉(『虚空』)は宿に置いてある籐椅子。これまで多くの旅人が座ったであろう籐椅子に、旅人の一人として自分も座ってみる。窓に目をやると「今朝の雨」だ。俤の籐寝椅子に比べて「今」の実感がある。掲句も「徒然(なんとなく)」に「ぎしぎし揺らす」とあり、自身の重みを楽しんでいるような、存在を確認するような趣がある。
 「籐の椅子」と体言止めにすることで、存在感のある籐の椅子に意識が集まる。何気なく読んでしまう句だが、このような句があるから句集にめりはりがつく。(木下洋子)

 句集『吉野』は、伊豆山の旅館「蓬萊」と、吉野の旅館「櫻花壇」での旅吟を集めたもので、掲句は、「蓬萊 一」の冒頭、籐椅子の句三句の真ん中に置かれている。作者は、かつて月に一回は、この「蓬萊」で骨休みをしたという。お気に入りの宿の、おそらく広縁に置かれているであろう、いつもの籐椅子にいる、ただそれだけのことであるが、何と贅沢な時間であろうか。
 上五「徒然や」と切ることで、日常の喧騒を離れた、退屈にも思える時間の貴重さが際立つ。中七「ぎしぎし」という耳障りにも思える音も、「徒然」の響きと重なると、波のような心地よさである。そして、下五「籐の椅子」の体言止めが、この時間が永遠に続くような感覚を生み出す。
 掲句の前の句は〈行く雲を眺めて籐の椅子にあり〉、後の句は〈籐椅子に今ありし人今いづこ〉である。この三句を並べて鑑賞すると、前の句の空間的な広がりと、後の句のもう戻ることのない時間への追憶が相まって、さらに感慨深い。(田村史生)

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