毎年、中秋の名月を見てきたが、これまで見てきたさまざまの月の中でも、今日の月は格別だというのだ。しみじみとした感慨がある。「みてきしが」の「が」の軽い切れで生まれる間によって、「けふの月」が際立つ。「今日の月」でなく、ひらがな表記の「けふの月」の体言止めは、ゆったりとしたリズムを生み、余韻を感じる。
 ただ、年齢を重ねた作者が、来し方に想いを馳せながら「今」をしみじみと詠むというのは、よくあるのではないか。櫂から選の心得として「共感で選ぶな」「文学としてどうかの視点を持て」と学んだ。老境を感じさせるこの句に、老境を感じ始めた読み手の私が共感するだけでは、安易すぎる。
 よくできている句だが、どこか既視感がある。あらためて、俳句は独自の切り口と発想が大事だと感じた。(木下洋子)

 掲句から芭蕉の〈さまざまの事おもひ出す櫻かな〉を連想した。掲句からは作者が病を克服した後の深い感慨、安堵や希望、あるいは宇宙の非情さ、無常への深い感慨も読み取れる。
 こうした解釈の広がりは、一方で読み手に迷うなという覚悟を求める。これは生死を超えた宇宙的なものへの深い讃嘆と言いたい。サ行とカ行の調べが滑るように流れ、最後の「月」がぴたりと締める。
 最新句集『太陽の門』の帯に掲句が縦書きに掲載されていて、あたかも「太陽」と「月」が対をなすように配されている。おそらく、意識的な対比あるいは日月行道の意味が込められているのだろう。この句集には、句会での既読の句が多いのだが、句集では、新たな相貌が現れて驚かされる。編むという俳人の詩的作業を見る。(越智淳子)

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