長谷川櫂は二年後に古希を迎える。
 七年前、俳句総合誌が櫂の特集を組んだとき、僕は櫂について「俳人としてのエネルギッシュな活動ぶりは十年前とまったく変わらない。いやむしろパワーアップしているのではないか」と書いた。七年たったいまも、その見方はあまり変わらない。
 とはいえ、櫂は確実に老境に向かっている。それを最近、ある句会で強く感じた。〈心だけ君と心中天の川〉という弟子の句が出た。櫂は採らなかったが、この句を見て突然、こんなことを言い出したのだ。
 「夫婦は同時に死ぬことができないんだ」。この言葉を聞いたとき、僕は櫂の老いを強く意識した。櫂は数年前、皮膚がんを患い、死を意識するようになったという。
 最近は櫂の句も散文も死の影が色濃い。昔、櫂は石原八束のおびただしい死の句を前に、鑑賞を書きあぐねたと言っていた。今の櫂は八束のようだ。
 僕は「櫂の元気なうちに、櫂の句をしっかり批評しとかなければ」と痛切に思った。それでこのサイトを立ち上げることにした。

 櫂は以前、「俳句結社は加藤楸邨の『寒雷』のようでありたい」とよく言っていた。その意味は二つあるだろう。
 一つは、楸邨のもとに集まった弟子たちの多彩さ。前衛派の金子兜太もいれば、伝統派の森澄雄もいる。詩人の平井照敏もいれば、芭蕉の連句評釈で有名な安東次男もいるし、楸邨が嫌っていた高浜虚子研究で有名な川崎展宏もいる。彼らの詠む句は楸邨の句とはだいぶん違う。
 主宰という太陽の周囲を弟子たちが惑星のようにぐるぐる回る太陽系のような結社ではなく、主宰も弟子たちもそれぞれがさまざまな色で輝く銀河系のような結社。それが寒雷だった。
 ただし、これについては、澄雄が展宏との対談の中で「楸邨は自分の句作に懸命で、弟子たちの句に無関心なだけだ」と言っているのを読んだ。
 必ずしも楸邨の寛容さ、大きさではないと言いたいのだろうが、僕はそうは思わない。それほど自分の句作に懸命な背中を見せれば、弟子たちも負けじと自分の句作に励むだろうという楸邨の親心なのだ。言い換えれば「自分と同じような句など詠むな」ということだ。
 櫂も句会では「僕の句と似た句を詠むな」「僕の句と分かったら採るな」「共感して採るのはダメだ」が口癖だ。
 二つ目は、楸邨も弟子たちも俳句に劣らぬ俳論の名手であったということ。楸邨のとくに芭蕉に関する膨大な著作は金字塔と言っていいだろうし、兜太は自らの前衛論を「造型俳句六章」にまとめて中村草田男と鋭く論争した。展宏は『高浜虚子』『虚子から虚子へ』という名著を世に送り出した。 
 櫂もこれまでに約二十冊の句集を出す一方で、俳論はもとより鑑賞、随筆から憲法論まで幅広く散文を発表してきた。弟子たちにもしばしば「実作と俳論は俳人の両輪だ」と言う。
 楸邨が多彩な弟子たちを育てたように、櫂も自分とは違う異彩を放つ弟子を切望しているのだ。弟子はその期待に応えなければならない。

 このサイトでは櫂の古い句から新しい句までを、十二人の弟子たちが評釈してゆく。
 読んでいただければ分かるが、師の句をただ褒めるなんてことはしない。弟子が師を褒めるだけの鑑賞を読まされても門外の人はシラケるだけだし、誰より櫂がいちばんシラケるだろう。だから、一句を二人ずつで評釈し、それぞれ独自の視点、批評精神を振るう。毎週一句ずつ更新。
 サイトをご覧になる方も、それを大いに批評してほしい。(藤英樹)

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