人はなぜ月に引かれるのだろうか。
地球と月の関係は、科学の世界でも高い関心を集めている。たとえば、そもそも月は彗星のような天体であったが、あるとき地球と衝突して、地球の衛星になったと考える学説がある。さらに、その衝突の際に、月が地球に水をもたらしたのではないか、あるいは、生物の原型となるアミノ酸をもたらしたのではないか、という説まであるくらいである。またその衝突の際、地球の地軸が傾いたとされており、そう考えると、月が地球の生態系に季節をもたらしたとも言えるし、生きものの多様な進化をもたらしたとも言える(なんたる偶然か)。
月の引力が海の潮汐(ちょうせき)運動を起こしていることは有名である。生きものでは、サンゴの産卵が満月の夜に一斉に行われるし、ウミガメは月の光を頼りに砂浜に戻る。海の生きものだけでなく、陸上の生きものもその体内時計は月と関係があるとされる。
人間が月に引かれるのも、その存在の起源に月が関わっているとしたら、当然と言わざるを得ない。
掲句だが、実際は月が空をはみ出てしまうほど、大きくなることはない。そこまで近づくならば、月は地球の引力に耐えきれず、粉々になっている。だから、この句の月は、心のなかの月である。
われわれにとって、月はあまりに大きな存在なのだ。(関根千方)
俳句は何だって詠める。ミクロの世界もマクロの世界も何だって詠めるんだ。それもたった十七音で。俳句はすごいんだよと、俳句の魅力、醍醐味を言葉で何度も説明するより、この一句を読んでみて、ほら、俳句はこんなことも詠めるんだよ、と示すのに最適な一句だと思う。
ただ大きな月と言えば、読者の心に夜空に輝く大きな月は浮かぶことだろう。ただ、掲句は、「空よりも大きな月」なのだ。そんなことはありえないではなく、「まさに!」と思った人は、俳句の魅力を一瞬で感じ取った人だ。
誇張でも、狙ったわけでもない。子どもが月の大きさにびっくりして思わず口にしたような素直な俳句だ。言われてみるとハッとする。それが俳句の魅力だ。
比叡山観月句会で詠まれた一連の月の俳句作品の中の一句として句集『唐津』に掲載されている。比叡山で見た〈空よりも大きな月の上りけり〉の感動は、今後も色褪せることなく、これぞ俳句と読み継がれていくことだろう。(木下洋子)