ただ山といへばこの山けふの月『唐津』

 旅の句集『唐津』(2012年)の「近江」の章に所収。初出は『俳壇』2010年7月号「月の山」。〈登りきて叡山こよひ月の山〉に始まる。掲句は二句目。〈比叡山月光界のただなかに〉など前後の緊迫感のある秀句が光るなかで、掲句は挨拶句的で、「ただ山といへばこの山」という形容が冗漫だ。
 京の都にとって、比叡山の空間的・歴史的・宗教的・文化的・政治的・社会的存在感は、確かに「ただ山といへばこの山」的ではあるが、俳句において常套句的な表現を生かすことがいかに難しいかを示している。
 〈登りきて叡山こよひ月の山〉〈比叡山月光界のただなかに〉では作者は比叡山の山中にいて、中秋の名月を見上げている。掲句の場合には、作者がどこにいるのか、なぜ「ただ山といへばこの山」という慣用句を思い浮かべたのか、ぼんやりしている。「けふの月」との取り合わせも、あの比叡山にちょうどおあつらえ向きの名月という感があり、絵葉書的なものに堕している。(長谷川冬虹)

 この句だけを読むと「この山」はどこの山か不明だが、「けふの月」を愛でるために登ったのなら作者にとっては大事な山に違いない。また「この山」の「この」は作者の「この山」への強い思いを表している。ただ一句独立で考えれば読者に不親切な句だ。
 この句は旅の句集『唐津』(2012)の「近江」33句の2句目で、前句の〈登りきて叡山こよひ月の山〉から叡山での月見への気持ちの高ぶりが伝わる。近江は芭蕉が愛したところであり、芭蕉を敬愛してやまない作者には、叡山での月見は芭蕉の俳句に唱和することでもある。
 俳句を作りながら、山上に登り、月を待ち、愛で、送り、朝を迎え、山を下る。33句の各句が響き合いひとつの音楽を奏でているが、作者はかつて句集の中の一句一句は独立していなければならないとも言っていた。はたしてこの句はどうであろうか。(齋藤嘉子)