紀淡海峡は東に紀伊半島、西に淡路島を望む。太陽はまさに熊野の山からのぼるだろう。掲句の主体は舟の上にいる。若布刈をする人になりきって、作者は日の出を詠んでいる。
この海の若布は「加田和布/加太和布(かだめ)」といわれ、古代から採られてきたそうだ。若布を食べる文化があるのは世界でも日本と韓国くらいだが、歴史は古く、たとえば九州には神功皇后が創建したと伝えられる「和布刈(めかり)神社」があり、若布を神に捧げる神事がある。食用の海藻は「め」と総称され、「海松布(みるめ)」は「見る目」との掛詞として恋の和歌にも多く詠まれてきた。若布はただの食べ物ではなく、日本人の信仰と文化の象徴でもある。
そんな若布の舟を、作者は描いているのである。『海の細道』を読むと、作者は夜明けにここへ来たわけではないようだ。句中の舟はもしかしたら実景ではなく、心の所産なのかもしれない。心の目で見た若布刈舟は、時を超えてくる舟である。(イーブン美奈子)
この句は『海の細道』に掲載されている。作者は大阪の伝法港から大阪湾を横断して明石へ向かう。この船の上で紀貫之に思いをはせる。四年間の土佐守の任を終えた紀貫之は船で都へ帰ったという。五五日かかったそうだ。
明石海峡大橋へ向かう作者の船旅はものの数時間だ。一方、約二か月の船旅。今とはあまりに違うその時の流れの雄大さに作者は思いをはせたのかもしれない。作者を乗せた船は大阪湾を明石に向かっているはずだ。しかしこころは紀淡海峡を北へ向かう紀貫之を運ぶ船の上にある。東を見ると熊野から太陽がのぼる。日本の創世の頃、そのはるかむかしから毎日のぼり続ける太陽だ。
海には若布刈舟が浮いている。若布を生業にしている人々。それは今日を生きる人々だ。舟に揚げられる若布は紀貫之も見た太陽の日に照らされ光り輝いている。この両者の対比があざやかである。一方で両者が引き立て合う一句でもある。そしてその要には熊野がある。熊野が時を超えた両者を結び付けた。
太陽も若布を育む海も人間が生きていく上で必要不可欠なものである。毎日太陽はのぼり、人々は海から食べ物を得る。それは淡々と繰り返される。(三玉一郎)