花びらや鰻ぬるりと魚籠の底『虚空』

 桜の花びらが一片一片貝殻のうちがわのような白さと光でゆっくり螺旋を描き舞い、足元の魚籠の中へ。魚籠の底には鰻がゆるりと蜷局(とぐろ)を巻いて…落花の線の動きも鰻の点の動きもいずれも渦を巻いているが、この対比。また、桜の花びらのひんやり感と鰻のぬめり感という対比。これらの対比が絶妙であり、句に厚みをもたせている。
 一茶に〈鰻屋のうなぎ逃けり梅の花〉という句がある。「梅の花」と「うなぎ」の取り合わせだが、絣の手触り感を思わせる句である。染められた糸で織られた絣柄はどこか温かみのある素朴な雰囲気が魅力だ。絣地は動きやすい。この句の鰻は逃げ足も速そうだ。
 対して、「花びら」に「鰻」の取り合わせの掲句だが、花びらが魚籠の底の蜷局を巻く鰻へ達するまでの気配…それを作者は柔らかな視線の動きで絖(ぬめ)のように掬いとっている。絖は生糸を繻子織にした薄く滑らかな光沢ある絹織物である。絖のひかりのような句である。(谷村和華子)

 『虚空』と言えば、〈生き死にを俳諧の種籠枕〉という句が思い浮かぶ方も多いのではないだろうか。『虚空』を代表する一句である。
 掲句は一見単に景を描写しているようにも見える。しかし、「花びら」と「鰻ぬるりと魚籠の底」とが「生き死に」を暗示していると捉えることができる。
 まず、「花びら」が「死」を象徴している。「花びら」は美しいものというイメージがあるかも知れないが、「花びら」となった瞬間に命を失っている。美しさと背中合わせの儚さ。
 一方で「鰻ぬるりと魚籠の底」には生命の躍動が表現されている。なかでも「ぬるり」は官能的な動きを感じさせる。「魚籠の底」という暗がりにうごめく命が描かれている。
 命を讃え、命を惜しむ。そんな心の働きが言葉の背後に浮かび上がる。(村松二本)

俳諧の腰強うせよ草の餅『虚空』

 掲句は句集『虚空』の第1章にある、2000年春の句である。その3月16日、作者の師である飴山實の訃報が届いた。その時の〈裸にて死の知らせ受く電話口〉が同じ章にある。飴山には10年以上にわたり師事し、作者の俳句を磨きあげる上で、大きな力となった。『虚空』には、次の第2章も含めて、亡き師を偲ぶ句が数多くある。
 掲句の季語は草餅。よく練るほど、粘り強さ、腰の強さが生じる。そこから転じて、俳諧、俳句における腰の強さを求めている。追悼句ではないとしても、師を喪った後、俳句の道に一人進む、その覚悟を詠んだ句であろう。
 腰の強い俳句とは何か。改めて結社古志「俳句の五カ条」を見ると、三つめに「古典に学べ、古典とは時を超えてゆくものの姿なり」とあり、四つめには「時代を超ゆるものを求めよ」とある。つまり、できるだけ長く、人々に読まれる俳句こそ腰の強い俳句であり、それを目指せ、と自らを叱咤しているのだろう。古志に学ぶ私たちも目指すべきところである。(臼杵政治)

 母子草または蓬を搗き込んで作るのが草の餅。若草色が美しく、草の香りは邪気を祓うとされる。丸く安らかな曲線を描き、春の山のようである。
 その「草の餅」と「俳諧の腰強うせよ」を取り合わせた一句。「俳諧の腰強うせよ」は、師から弟子たちへの言葉だろうか。腰は体の要。例えば、手や脚の華やかな動き、指先の細やかな表情といったものは必要だが、そういったことにとらわれず、姿勢や心構えこそ大事ということだろう。さらに、どんな方向からの力も受け止め、自らの力に変えてしなやかに、という思いが「腰強う」には込められているのではないか。ここまで考えると餅と腰がやや近い。
 私は、ただ春の喜びそのもののような草の餅がそこにあり、そしてそんな世界に俳諧もある、という句だととりたい。それは句集『虚空』が、大切な人を相次いで亡くした作者が、ただそこにあるもの、ただそこにいるひとへの言葉にならない思いを込めた句集だと思うからだ。(藤原智子)

きさらぎの望月のころ實の忌『虚空』

 「きさらぎの望月のころ」というフレーズを聞いたら、たちどころに西行を思い浮かべるのは、詩歌を愛する者であれば常識と云ってもよい。〈願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ 西行〉。西行は元永元年(1118年)のとある日に生まれ、文治六年(1190年)二月十六日(ユリウス暦で三月二十三日、グレゴリウス暦で三月三十日)に亡くなっているから、享年七十三歳。一方、飴山實が亡くなったのは、平成十二年(2000年)三月十六日。享年七十三歳であった。とすると、西行と同じである。八世紀をへだてて、この二人は、亡くなった時期も近く、享年も同じである。
 この句の作者が、享年まで同じであったことを重ねて追慕したのかはわからない。この句の前書に「越の禅師」から「先生は西行法師の願ひしごとく如月の望月に逝かれけり」と手紙をもらって、「西行の歌おのづから口を突きて」この句が成ったと記しているところからみると、師の飴山が身罷った日が、西行が願った季節と同じであったという事実にはたと思い至り、死もまた西行から脈々と続く風雅につながったことの厳粛さを素直に句にしたのであろう。
 西行から芭蕉へ、芭蕉から飴山へと流れる一筋の道、その一本のほそ道が、月あかりの中に浮かびあがるようである。虚子は子規が亡くなった晩、空にかかる月をみて、〈子規逝くや十七日の月明に〉と詠んだ。飴山を慕うこの句の作者もまた、心に思ったままを句にして真情をこめた。(渡辺竜樹)

 この句は、飴山實氏への追悼句である。『虚空』には「三月十六日深夜、飴山實先生の急逝の知らせあり。折りしも入浴中、季語も取りあへず」と前書して、〈裸にて死の知らせ受く電話口〉の句がおかれ、畳み掛けるように追悼の句が十句続く。そして一呼吸おいての掲句である。
 掲句には長い前書がついている。もし前書がなければ、もし「實の忌」の實がだれかを知らなければ、そして「きさらぎの望月」が西行の歌の一部であるのを知らなければ、この句をどう味わえばいいのだろうかとふと思ったりする。前書もまた句である。庭に出て、飴山實氏を悼み、月を眺めて西行に思いを馳せる「越の禅師」の存在は、作者の追悼の思いと深く共鳴する。この句では、師たる飴山實先生への追悼、歌人西行への追慕だけでなく、飴山實、西行を共に悼む気持ちを共有する「越の禅師」も忘れてはいけないだろう。
 共に悼む人が居ることで、人はどれだけ哀しみが癒されるだろうか。哀しいのは自分だけではない、貴方もそうなんだとの共感が小さな輪となり、二人だけではなく、広く人々との大きな共感の輪として広がるのではないか。共に哀しみを唱和する、詩にはそんな力があることを教えてくれる句である。(きだりえこ)

鶴引きし大いなる空あるばかり『虚空』

 この句の前書には「山口にて葬儀」とある。作者は2000年3月16日に師である飴山實を失った。
 当然誰かその句を詠んだ人がいたからこそ俳句はそこにある。しかし詠んだ人の姿が見えない俳句も時にはある。この句もそういう俳句の一つかもしれない。一読、鶴が帰っていった空を仰ぐ人が立つ地面が見える。だがその後そのすべてをのみ込むように空が見えてくる。その人が立っている地面も、最後にはそこに立っている人、つまり俳句を詠んだ人も見えなくなっている。この句には師の逝去にあたっての作者の心情が漏らさず表現されている。その心情を的確に表している言葉が下五の「あるばかり」だ。
 飴山實は弟子を取らなかったと聞いている。それでも作者はこの人に教えを乞いたいと、この人でなければならないという強い思いがあったに違いない。自分が俳人として生きていくにはこの人が必要だと思ったのだろうか。年表によると作者が35歳の頃とある。これこそが本来あるべき師弟の姿だろうと思う。作者は飴山實が消えた空すなわち『虚空』を句集の名前とした。虚空は飴山實が消えた空であると同時に飴山實そのものだとも言える。(三玉一郎)

 どうも粘っこさが気になってしまう。渦巻くような感情が蒸留もされず昇華もせず言葉にべったりくっついている感じがするのだ。
 句集『虚空』には「山口にて葬儀」の前書がある。作者が師事した飴山實の葬礼である。突然の訃報だったそうだ。茫然自失というか、思考停止というか、心のうちは、とにかく何だかよくわからない状態だっただろう。それから約四半世紀、作者は今年2024年7月15日の講演で、俳句とは「何かわからないことを言葉で表現」するものだと述べた。掲句にはその感じが色濃くある。事情を全く知らない人が句だけを読んだとしても、何かしらのねばねばした感情の塊を捉え得ると思う。
 字面から分析するとしたら「ばかり」が粘っこくていけないということになるかもしれない。しかし感情というのはなべて粘っこいもので、感情があるのが生身の人間であり、時に生まれるこうした句を、私は全否定する気持ちにはなれないのだ。(イーブン美奈子)

村ぢゆうの畦あらはるる雪解かな『虚空』

 冬の間、雪に覆われた田んぼ、そこへ春の暖かな日が射す。解け始めれば、雪はすぐになくなり、黒々とした田んぼの畦が顔を出す。山の陰にあるのか、一日中日が当たるのか、スピードは違うだろうけれど、村のどの場所にあっても必ず畦の土が表れる。作者が在住した新潟の景であろう。季節が移り春がやってくる、その喜びに溢れた句である。
 評者には〈どの子にも涼しく風の吹く日かな〉(龍太)が思い起される。もちろん、春の畦を詠んだ掲句と、夏の子供たちを詠んだ龍太の句とは、季節も対象も異なる。しかし、「かな」を使った一句一章立ての形式だけでなく、分け隔てなく、万人、万物に訪れる四季の恩恵を謳っている点で共通した感興を覚えるのである。これから草が芽吹き、青々と伸びる春の畦は、夏の涼風を受けて走り回る子供と同じエネルギーに満ちている。
 四季の変化から生命エネルギーを授かるのは、自然も人間も同じだ。田の畦や子供はその象徴でもある。戦前に歌われた「天長節の歌」に「恵み遍き君が代を」という歌詞があるそうだ。まさに掲句も季節を司る神、その遍き恵みへの挨拶といえよう。(臼杵政治)

 春の到来を寿ぐ一句。雪国の深い雪が解けると、畦が黒々と顔を出す。あちらでもこちらでも次々に畦があらわれる様子を「村ぢゆうの」と詠んでいる。そこに、その土地を愛おしく思う気持ちが込められている。つやつやとした黒い土と、残る白い雪の対比が美しい。
 掲句はまた、一茶の句〈雪とけて村一ぱいの子ども哉〉を思い起こさせる句でもある。一茶の句からは、賑やかな子どもの声が聞こえてくる。村に守られた、ほっぺの真っ赤な子どもたちの姿も見える。しかし、掲句には、人は描かれていない。それでも、人の姿が感じられる。それは、この畦は人の手が作り、手入れをしてきたものであろうからだ。
 畦に焦点が絞られているところから、その土地だけでなく、その土地に住む人を愛おしく思う気持ちが伝わってくる。これから、この村にも春の水が滔々と流れ、だんだんと田んぼの仕事が始まるのだろう。(藤原智子)

雪山を奔りきし水口漱ぐ『虚空』

 ミネラルウォーターのCMのような句である。上五中七下五すべてに「水」が含まれる語が使われていて、最初から最後まで爽快。遠くに見える雪山と、その雪解け水で口を漱いでいる人物の景も浮かびやすく、大変わかりやすい。言い換えればありきたりな句でもある。
 遠くの雪山から口元へとフォーカスされるカメラワークは空間を広く使おうとしていて気持ちがいい。惜しいのは、山を奔りきた水の勢いが口元で止まってしまった点と、やはり最初から最後まで意外性がない点だろう。例えば高浜虚子の「流れ行く大根の葉の早さかな」は、どこまでも流れゆく葉が空間と時間の流れまで表現しているし、芝不器男の「山の蚊の縞あきらかや嗽」は、取り合わせに意外性があるだけでなく、句全体に生命力が満ち溢れている。これらと比べてしまうと、広い景を詠んではいるが、小さくまとまった句で終わっている。(森 凜柚)

 清冽な印象を与える句だ。『虚空』の前後の句から推し量ると越後の雪解を詠んだものだろう。
 まず注目したいのは「を」である。仮に「雪山より」であればどうか。たちまち散文化してしまう。経過を説明したいという気持ちが前に出てしまうのだ。「を」ならば雪山を奔る水の姿そのものに思いが及ぶ。何でもないように見えるけれども「を」の一文字が一句を引き締めているのがお分かりいただけると思う。
 次に「奔りきし水」と「口漱ぐ」の間にある切れ。 散文ならばここに「で」が入るところだ。しかし、ここを切らなくては俳句にならない。それによって「口漱ぐ」という動作が詠嘆となる。
 「口漱ぐ」とは「口の中を洗い清める」(『大辞林』)こと。まるで儀式のように清めるのだ。このほかに「名文を口ずさんで味わう」(『同』)という意味もある。とすれば、掲句は作者の古に学ぶ志を浮き彫りにしているとも受け取ることができる。(村松二本)
                          

高々と筧を渡し雪の庭『虚空』

 筧とは、「ふしを抜いた竹や中心部をくりぬいた木を地上に架設して水を通ずる樋」(広辞苑)である。雪深い庭の高いところを樋が渡してあるのを作者は見止めた。雪に埋もれてしまわないように積雪の最大値を見越して高いところに筧を渡してあるのだろう。「高々と」と、その高さが強調されている。この表現により、この庭のある地方の雪の深さがわかる。さらには、筧を走る高き水音まで聞こえてくるようだ。
 雪は「雪月花」と呼び習わす風雅の代表格。「雪の庭」と言っただけで、すでに文学的な情趣が立ち現れるが、「高々と筧を渡し」と即物的に見たままを描くことで、風雅に流れる空気を引き締めている。どこからどこへと筧が渡されているのか、筧の中には水が流れているのか、どれも描かれていない。が、描かれていないからこそ、読み手は自由に想像し得るという、俳句ならではの表現となっている。
 またこの句は、雪景色を背景にくっきりとした筧の線だけが強く印象に残る。その線が、ルチオ・フォンタナの「空間概念」におけるキャンバスの切り込みのごとく、無限の空間への入り口となり、読み手を虚空に連れ出す。
 掲句は、一見変哲もない写生句とみえるが、この句を包含する句集の名が『虚空』であることに気が付けば、「筧」が、ただの「筧」から、虚と実の架け橋としての「筧」として象徴性を帯びて立ち上がってくる。櫂は、一本の筧を渡して、虚空に切り込みを入れているのだ。(渡辺竜樹)

 はてさて厄介な句だ。雪は止んでいるのか、激しく降っているのか。時分は空気の澄んだ朝方か、どんよりとした重たい昼かあるいは夕暮れか。庭はどこにある、広いのか端正な坪庭か。そして筧はどこから来てどこへ渡されているのか。いや筧は作者の心象かもしれない。雪の庭に幻の筧が高々と渡されているのかもしれない。
 静かな気持ちで句と向かい合えば、筧からの水音が微かに聞こえるようにも思える。反対にこちらの気持ちに屈託のあるときは、激しく降りしきる雪のなかに渡された幻の筧が見える。まるで修羅能のシテのような荒々しさが感じられる句となる。こちらの気持ち次第で、いかようにも取れるのだ。まるで禅問答だ。
 句集『虚空』のあとがきに、「この間、飴山實先生はじめ大事な人々が相次いで亡くなり、『虚空』という題が自ずから定まった。天体もまた生命も虚空に遊ぶ塵に等しい。」とある。この句集の通底には虚空に遊ぶ塵がある。筧もまた天地を貫く塵なのだ。(きだりえこ)

立春大吉雪国に雪降りしきり『虚空』

 『万葉集』最後の歌は、大伴家持の〈新しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重け吉事〉。当時、正月の雪は吉兆とされていた。新年・立春・雪という三重のめでたさでことほぎ、『万葉集』は締めくくられる。
 これに呼応するように、掲句は句集『虚空』冒頭に置かれている。なお、「〜しきり」は家持の歌の「重け」と対をなす。長歌に反歌を付けるように、短歌に対して掲句は詠われたのではなかろうか。
 繰り返すが、ことほぎの句である。にもかかわらず、なぜか私には悲しく感じられる。句集を読むとわかるが、この年、作者は、大切な人たちの死に遭遇している。降りしきる雪は暗示的ではある。
 だが、悲しみは個人のものだけではあるまい。櫂は著書『俳句と人間』(岩波書店、2022)の中で、家持のこの「祈りの歌」に「漠然たる不安を感じ」、その不安とは「家持一人のものではなく時代を覆う空気だったかもしれない」と書いている。掲句の悲しみも世界の悲しみに通じているように思えてならない。自然災害、疫病、戦におびやかされる今、その悲しみは殊に胸に響くのである。(イーブン美奈子)

 人は言葉に導かれてはじめて歩を進めることができる場合がある。作者がこの句を詠んだ時、「立春大吉」まずそう措かなければそこに立っていることができなかったのかもしれない。しかしそこには雪が降りしきる。立春とは言っても雪国の春はまだ遠い。雪国に住んだことのある作者は身をもって感じている。
 私たちは人生でさまざまな決断の場を迎える。その決断に自信が持てない時もある。しかし降りしきる雪の後には本当の春が来ると思いたい。この句には作者のそんな気持ちが見える。私たちに対する時、作者は自信のかたまりのような人間である。しかし自信の裏には不安がある。それが人間だ。
 「立春大吉」は厄除けのお札でもある。作者のこころはその時、あるいはそのお札が除けるべき鬼になったのかもしれない。師を亡くし、父を亡くし、安定した収入源も放棄する決断をした作者が「立春大吉」のお札越しに降りしきる雪をまさに鬼の形相で見ている。そんな様子さえ目に浮かぶ。
 この句は2000年から2002年の句を収めた第五句集『虚空』の第一句目。前述のように、この間に作者は大事な人々を相次いで亡くした。そして2000年8月には1978年の新潟支局赴任から勤務を続けた新聞社を46歳で退職した。(三玉一郎)