正直祇園会は苦手である。蒸し暑い京都の街なかで、人にもまれ朝から立ちんぼで鉾を待つのは、苦痛以外何者でもない。所詮よその町の祭りじゃないかというやっかみもある。しかし都大路に長刀鉾が現れると、ああ来てよかったと心底思うから不思議だ。まさしく「からくれなゐのただならね」なのだ。
長刀鉾は、祇園会のハイライト山鉾巡行の先頭をゆく「くじ取らず」の鉾であり、鉾に乗る生稚児が注連縄を切って巡行が始まる。「からくれなゐ」とは、鉾が纏う緋色のことか。いや、ぐらっと天地をゆるがせ悠然と近づいてくる長刀鉾そのものだ。長刀鉾は祇園会の象徴でもある。だから祭りもまた「からくれなゐのただならね」なのだ。句集『初雁』にはこの句を含め祇園会の句が11句並ぶ。
山鉾巡行は半日だが、京の町衆はそれこそ一年かけて祇園会の準備をする。災害や戦乱等の危機に見舞われても、町衆の心意気が千年以上続く祭りを支えてきた。巡行に至るまでの数限りない行事は、全て町衆に支えられている。
祇園会で俳句を詠むとは、物見遊山の報告ではない。町衆が支えてきた祭りを俳句で称えることだ。長谷川櫂は毎年祇園会に足を運び句を詠む。祭りを称え俳句で町衆の一人になるのだ。(きだりえこ)
祇園祭の数多い山鉾のなかで、生稚児が乗る鉾は長刀鉾のみである。7月17日、斎竹に張られた注連縄が稚児によって切られると、1.13メートルの長さの長刀が鉾頭についた長刀鉾は、先頭を巡行しながら神の領域に入っていく。長刀は疫病をはらうものと言われており、長刀鉾は「くじとらず」とされ、必ず巡行の先頭となり、祇園祭を代表する鉾となっている。
鉾を飾る前懸はペルシャ花文様絨毯、胴懸にはモンゴルを含む中国近辺で製織された玉取獅子図絨毯、十華図絨毯、梅樹図絨毯など、16世紀の希少な絨毯が用いられていたが、現在はその復元新調品となり、見送の雲龍波濤文様綴織、下水引の五彩雲麒麟図刺繍も復元した新調品を使用している。どれも鮮やかな紅が目を引く。
「くれなゐ」とは中国の呉から伝わった「呉藍(くれのあゐ)」と呼ばれていたが、だんだんと言葉が変わり「紅(くれなゐ)」と言われるようになった。外国から伝わるものはどれも高価であこがれの的であり、とくに紅花は、黄金に匹敵するほど高価で貴重なものだったがゆえに、平安時代には、高級な船来品ということを強調するため「韓紅」「唐紅」と言うようになった。この祭から受ける舶来の美に心動かされた五木寛之は、小説『燃える秋』で、京都の祇園祭を舞台に設定し、ペルシャ絨毯の本場イランへと旅立つ女性を主人公にして恋愛模様を描いた。
この句、その「からくれなゐ」がよほど目に鮮やかだったのであろう。絢爛たる巡行の様子を色に焦点をあてて描き、この祭の華やかさを際立たせている。(渡辺竜樹)