夜が明け始めた頃、外に出てみると壁に立てかけてあった箒にうっすらと霜が降りている。一日の始まりの実に静謐な時間、世界である。「一霜の降りたる」はまるで昨夜から今朝へ時のページをめくっている錯覚を覚える。
掲句は句集『蓬萊』(2000年)に所収されており、句集のプロローグに「蓬萊とは新玉の年の束の間、円居の場に出現する幻の島」の言葉がある。句集名通りこの句集の句はどれも自然、家族、友人との和やかな日々が俳句で描かれている。この句の前には〈国栖人のしぐれで染めし楮紙〉〈霜晴や立てかけて干す楮紙〉、後には〈雪舟の山水のなか落葉焚く〉がある。いずれも淡々とした日々の営みであり、こうした生活の中にこそ心の平安はあると作者は考える。
竹箒を立てかけるのは、その日の仕事が終わり、また明日も掃くことを当然と思っているからだ。霜で白くなった竹箒を描いているだけだが、寒山拾得の仙境の世界へ読者をいざなってもいる。(齋藤嘉子)
第四句集『蓬萊』(2000年)所収。直前に〈国晒人のしぐれで染めし楮紙〉〈霜晴や立てかけて干す楮紙〉の二句がある。掲句も、手漉き和紙の里を訪れた折の句か。竹箒に霜が降りるほどの厳冬の早朝。竹箒に残っていたごくわずかの水分が霜を結晶させたのだろうか。
「一霜(ひとしも)の」という上五が句全体を引き締めている。注視しなければ気がつかないほどのわずかの霜。いつも掃き清められ、今朝もこれから掃かれるだろう、紙漉き職人を待つ空間の清冽な緊張感。立てかけてある竹箒は、霜という天からのメッセージ、天啓の依り代のようだ。
霜といえば、〈霜柱俳句は切字響きけり〉〈霜の墓抱き起されしとき見たり〉の石田波郷の句が思い起こされる。俳人を依り代として句が降りてくるのだろうか。霜の秀句は、乾いた緊張感を響かせる。(長谷川冬虹)