黄金の目の一つある海鼠かな『震災歌集 震災句集』

 海鼠は、どこが頭でどこが尻ともわからぬ形状で、去来は〈尾頭の心もとなき海鼠かな〉と詠んだ。また、芭蕉は海鼠のかすかな息づかいに心を寄せて〈生きながら一つに氷る海鼠かな〉と詠んだ。太古の闇がかたまったような不思議なこの生物は、『古事記』にも登場し、問いかけに答えず天宇受売命(あめのうずめのみこと)に懐剣で口を裂かれている。黙して生き続けるその姿は、図太ささえ感じられる。
 この句の「黄金の目」とは太陽のことと解したい。「黄金の目の一つある」で天の太陽が圧倒的な力で事物を照らす世界を描き、そこに生命体としてのグロテスクな「海鼠」を取り合わせることで、まだ人類が誕生していない遠い原初の時空が広がった。地球上のあらゆる出来事を照射しつづけるたった一つの「黄金の目」と、黙しつつ世界のあらゆる事象を感じつづける「海鼠」。人類が誕生する遥か昔の揺籃期の風景を感じさせる。そこには人間的な喜びも悲しみも入り込む余地はない。
 この句を収録している『震災歌集 震災句集』には、震災後に作られた歌や句が並ぶ。地震などの天災は、人間に悲しみをもたらすが、自然は情け容赦もなく、押し寄せ、ぶつかり、それでいて頑として無表情だ。この句は、非情で底知れない言葉なき世界を詠んだのだろう。
 この句のあとには、〈十億年何を待ちゐる海鼠かな〉〈神あらば海鼠のやうな姿かな〉〈荒涼と世界暮れゆく海鼠かな〉と海鼠の句が並ぶ。大きな虚空を無言で受け止める海鼠に仮託して、言葉なき非情の世界を描き出した。(渡辺竜樹)

 改めて『震災歌集 震災句集』を読み返してみた。暗澹とする。歌集の荒々しい言葉で語られる地震や津波や原発事故。右往左往する政治家、不誠実極まる電力会社の経営者。世の中は少しも良くなっていない。いやそれどころか段々悪くなる一方だ。
 歌集の〈爛れたる一つの眼らんらんと原子炉の奥に潜みをるらし〉という歌にぶつかって、掲句の「黄金の目の一つある海鼠」とは「原子炉」と思った。しかし畳みかけるような言葉の洪水の歌集の後で句集を読むと、それだけではないような気がしてきた。長谷川櫂自身が歌と句との違いを、あとがき「一年後」にこう記している。「俳句で大震災をよむということは大震災を悠然たる時間の流れのなかで眺めることにほかならない」
 「黄金の目の一つある海鼠」の前の句が〈人類に愛の神あり日向ぼこ〉、後ろには〈十億年何を待ちゐる海鼠かな〉〈神あらば海鼠のやうな姿かな〉〈荒涼と世界暮れゆく海鼠かな〉が続く。「海鼠」が暗喩するのは人類が造った「原子炉」ではなく、人類の登場以前から地球に存在している「神」ではないだろうか。「黄金の目の一つある海鼠」は、今も深い沈黙の海に鎮まる。(きだりえこ)