迎へ火や海の底ゆく死者の列『震災句集』

 東日本大震災では、19,765人が亡くなり、2,553人が行方不明だ(令和5年3月1日時点)。その多くは津波が原因だ。津波のあと、体育館に何百という人々が安置されていると報じられていた。数えきれないということに胸がつまる思いがした。
 掲句の「迎へ火」は、お盆に家に帰ってくる祖先の魂を迎えるために門で焚く火のこと。だが、家族で津波にさらわれ、「迎へ火」をする人もおらず、どこへ帰ってよいかわからない魂もいるだろう。帰ることができず、「海の底」を「ゆく」しかない魂。年代や職業もさまざまな人を「死者」という言葉でとらえるのは非情である。しかし、そう言い切ることで作者は、それぞれの人の無念を表現したのではないか。
 そして、この句でもっともかなしみが表現されているところは「列」である。生きていたときの格好のまま、地震と津波が来る前の姿のまま、列をなして立って歩く姿を心に思い浮かべる。体育館に横たわり、数えきれなくなる前の、一人ひとりの姿だ。(藤原智子)
 
 東日本大震災から約1年後に刊行された、『震災句集』の一句である。実際の作句は2011年の盆の頃だろう。句の前書きによるとダンテ『神曲』の一部(地獄編の第三曲)から想を得ている。
 東日本大震災の犠牲者(死者、行方不明者)はおよそ2万人、その多くは津波に呑み込まれた。今でさえ、ご遺体が見つかっていない犠牲者は数多い。初盆を迎え、まさに海の底を歩いて帰ろうとしている、御霊の姿を詠むことを通じて、犠牲者を鎮魂し、帰りを待つ家族に寄り添うような句である。
 ところで句集のあとがきで作者は、言葉に代わって「間」に語らせ、季語を用い宇宙の巡りに従う俳句では(やむにやまれぬ思いを表した短歌とは異なり)震災を詠んだとしても非情なものになるだろうと言う。掲句にも当時の被災者の悲しみや不安を完全に再現できてはいない、という感想もあるだろう。半面、掲句は現在2023年の句として読んでも決して色褪せていない。戦争で海中に投げ出された人々など、海の犠牲者への鎮魂の一句だと言っても通じる。俳句の時代性や社会性についてもう少し考えてみたくなった。(臼杵政治)