作者の句集『松島』は、吉野、近江、松島の旅吟を集めた句集であり、掲句は、その「近江」の項に置かれている。「鮓」は、魚介類を塩漬けにしたのち、炊いた飯を重ねて漬け自然発酵させたもので、夏の季語。琵琶湖の鮒鮓はその代表的なものである。
作者の行為としては、単に鮒鮓を食べたということだけであるが、「食うて」の大らかさと、名産品を食べることでその土地の人になるという誇張が、読み手にも旅の醍醐味と高揚感を伝える。さらに、「近江の人」と詠むことで、掲句は松尾芭蕉の句〈行春を近江の人とおしみける〉とも呼応する。
作者の心は、芭蕉や近江蕉門の人々、さらには、近江粟津で討ち死にした木曽義仲のような古人にまで及んでいるのではないか。鮒鮓をトリガーに、作者は時空を超えて、いにしえの近江の人たちとつながったのである。
尚、同じ「近江」の項には、〈かつてここに堅田蕉門雲の峰〉〈秋霞古人のごとく水楼に〉の句も見られる。(田村史生)
作者は近江、そしてそのソウルフードと言われる鮒鮓に強い憧れを持っていたのだろう。近江に行きたい、そして近江で鮒鮓を食べてみたいと願っていた。その夢がようやく実現した。たった一文字の違いだが、動詞「なる」が連用形「なり」であるところに感動の余韻が感じられる。動詞「なる」には「(別の状態に)なる・変わる」の意味がある。鮒鮓を口にしたことによる変化は、作者が自身を別の人間だと感じるほどだった。
鮒鮓は今でこそ高級料理だが、かつては近江のどこの家庭でも作られていたという。炊いたご飯に酢を混ぜて作る一般的な寿司とは異なり、発酵食品である鮒鮓を作るには長い時間と手間がかかる。この句が詠まれた背景には、作者を鮒鮓で歓待してくれた近江の人の存在、そしてそのもてなしに対する感謝の念がある。近江の人にとって最高の挨拶句だったに違いない。
作者は口中にじんわり広がる鮒鮓の酸味と旨みと共に、近江の一員となったことの喜びを噛み締めている。(市川きつね)