冬の間、降っては積もる雪で真白になった山脈が目に浮かぶ。そんな真白な雪の山々に春の兆しが。雪解けが始まったり、木々に芽吹きの兆しがあったり、春が動き始めたようである。
この句の前の句は〈むくむくと春が動くや雪の中〉で、春の胎動である。後の句は〈全山の雪ふるはせて山笑ふ〉で、山々が雪ふるわせる勢いで春の到来を喜び大笑いしている。狂言の演者が笑う時は、腹から声を出して「ハハハ」と高らかに笑うのだが、そのようなめでたさがある句だ。
掲句は『震災歌集 震災句集』の最後の章にある。そして、句集の最後の一句は〈降る雪や奪はれても奪はれても福島〉である。十七音ならぬ二十一音であるが、「奪われても奪われても」を力強く速く読むとちょうどよくなる。また雪が降る季節がやってきても、春は必ずやってくる。春の兆しの喜びは生きてゆく喜びだ。(木下洋子)
雪に覆われた山々が折り重なるようにみえる。いわば、この句は「白」のグラデーションだけで描かれている。微妙な白だけの陰影は波のように確かに息づいているかのようである。作者はそこに春の気配を感じたのだ。古代の神々の世界のようでもあり、現代の抽象絵画の表現のようでもある。しかも何一つ難しい言葉が使われていない。小学生でもわかるようにできている。
阿波野青畝の〈山又山山桜又山桜〉は視聴覚的にリフレインが使われており、どこかモダンなグラフィックデザインのような感じがするが、掲句のほうは、いうなればモノクローム映像のようである。まるで、死の中からゆらゆらと生が立ち現れてくるような世界と言えばいいだろうか。あるいは、物質と生命の間と言えばいいだろうか。デザイナーの原研哉は『白』の中でこう述べている。《白があるのではない。白いと感じる感受性があるのだ。》
この句の白もまた説明するよりも、感じるほかないものである。そして忘れてはならないのは、この句が 『震災句集』が編まれた当時に詠まれた句だということだ。悲しみで閉ざしてしまった心の硬直が、今ようやくかすかに動き出す。そんな希望の気配を感じることさえできる。(関根千方)