句集『沖縄』(2015年)所収。呟きをそのまま俳句にしたかのようで、思わせぶりだが、佳句とは言い難い。呟きを句にすることは難しいという見本のようだ。
ここでの春一番は単なる気象用語というよりも、象徴的な意味が込められているのだろう。吉兆か、重大な異変の予兆か。論理的にはどちらも可能だろうが、異変の予兆と取った方が、句の奥行きは深くなる。
春の到来を言祝ぐ句と解しては、あまりにも薄っぺらだ。章題は「火車」。五句前に〈死神のとなりと知らず日向ぼこ〉、少しあとに〈死の影のごとくががんぼ近づき来〉がある。掲句もまた、還暦を過ぎた作者が、肉体的な老いや体調の不調、いずれ訪れる死を意識しての句ではないか、と評者は思う。
作者が皮膚癌の手術を受け、「生と死」をおもな主題にした『俳句と人間』(2022年)を出版するのは数年先のことだが、生と死をめぐる思索と本格的に向き合うことになる一種の予兆が、この句における「春一番」であるように思われてならない。(長谷川冬虹)
「古志」の会員、同人にとって「春一番」といって真っ先に浮かぶのは、『古志』誌上で発表した後に『島に生きる 季語と暮らす』にまとめられた壱岐出身の園田靖彦氏の解説だ。氏はこの季語はキャンディーズが歌った「春一番」によって一般には春を呼ぶ優しい風だと誤解を生んだのではと書かれている。本来は立春後の最初に吹き荒れる強い南風でしばしば海難事故を引き起こし、壱岐の漁師が使い始めた厳しい背景のある季語だ。
掲句の「春一番」はどうだろうか。春がやや過ぎて振り返っての春一番のようだ。しかし、単に季節の移り変わりを詠んでいるというより、自分の人生を振り返っているようにも聞こえる不思議な俳句である。ああ、あの時が自分にとっての分岐点だったのだと、その時には分からないが、しばらくして事が落ち着いてみるとしみじみ感じることがある。人生の春一番を詠んでいるからこそ、この俳句を何度も口ずさんでみたくなる。(齋藤嘉子)