雲はみな姿を変へて九月かな『柏餠』

 句集『柏餠』(2013年)所収。秋雲によって知る九月の到来の歓びを、掲句は素直に詠んでいる。気候危機の深刻化によって、段々夏が長びき、秋が短くなりつつある。残暑が厳しく、秋来るというよりも、晩夏の趣になってしまったとはいえ、九月の訪れはやはりうれしい。季節感を飜す気候危機は、俳句の危機でもある。
 積乱雲に代表される夏の雲に変わって登場するうろこ雲、鰯雲、鯖雲、羊雲、筋雲等々の秋の雲。秋の訪れをまず感じさせるのは、気温よりも、雲の変化だ。近年ますますそうだ。雲もまた秋の主役の1つと言ってもいい。自在に変化する雲の姿は、啄木の言葉のように、まさに「雲は天才である」と感嘆せずにはおれない。
 〈秋天に君たちの夢描きたまへ〉〈大空に白山一つ氷りけり〉〈大空はきのふの虹を記憶せず〉のように、『柏餠』では空を詠んだ秀句が目立つ。(長谷川冬虹)

 夏の雲といえば入道雲と積雲である。大地付近の空気が熱せられて発生した上昇気流によるもので、天を貫くような立体的な形が夏の雲。夏の勢いさながらの姿。秋の雲は鰯雲や鯖雲のようなさざ波かと思う白雲が平面的にひろがる。もちろん夏の雲も秋の雲もこれ以外に色んな雲があるけれども、作者は空を仰ぎ雲の形が変わったことから夏から秋への時間の経過をしみじみ味わっている。
 あるいは、九月になり空を見上げると雲が夏から秋の雲に変わったことに初めて気がついたのかもしれない。忙しさにかまけて気がつくと季節が変わってしまっていることに気がつかなかったことに驚いたりもする。
 昨今の温暖化で春と秋がほとんどなく、冬と長い夏の二季しかないような日本。しかし、掲句を声に出して読んでみると、かつての四季がはっきりしていた頃の九月を身ほとりに呼び寄せ、朝夕涼しくなっていっていたかつての九月を思い出させてくれる俳句である。(齋藤嘉子)