稲妻のひらめく夜を遊びけり『柏餠』

 「雷」は夏の季語だが、「稲妻」は秋の季語である。「雷」は、音に重きがあり、「稲妻」は、光に重きがある。その光が稲に実りをもたらすと信じられていた。「閃く」は、瞬間的に光るという意味だが、なぜ、「ひらめく」とひらがなで書き表したか。それは、「ひらめく」という音に、何かがひらひらと動いている感じがあるからだろう。句の中心はひらがなで書かれた、この「ひらめく」である。
 掲句は、音もなく、おそらく雨もなく、光だけが閃く秋の夜、外へ出かけていって、人と会う人の姿を描いている。人が遊ぶように、稲妻も夜空に遊んでいる。そして稲妻がひらめくように、人も闇の中をひらめいている。人の遊ぶ姿は具体的に描かれていない。しかし、稲妻に照らされた人の顔が闇夜の中にぱっと白く浮かび上がるようだ。
 理屈ではどうにも説明できないのだが、ここでは「ひらめく」という音が稲妻の光そのものであり、秋の夜に遊ぶ人の横顔そのものなのだ。(藤原智子)

 『震災句集』の後、2013年に発行された『柏餠』の1句。この句の鑑賞上の眼目は下五の「遊びけり」の解釈だろう。「夜を遊びけり」だから、遊園地か盛り場かどこかで遊んでいたら、急に稲妻がひらめいた、と考えることもできる。恋人とデートしているのかもしれない。いや、もう少し高尚に、心の遊びをした、例えば稲妻の光る夜空をみて、月や星あるいは過去へ想いを馳せた、と捉えることもできよう。
 あれこれ想像ができるのは、掲句が「稲妻がひらめく夜に遊んだ」以外、何も言っていないからだ。芭蕉の言葉「言ひ仰せて何かある」のように、俳句では、必要最小限の情報を与え、後は読者の想像に委ねることが求められている。暗い夜空に稲妻がぴかと光るという映像だけがあり、稲妻に稲の実りを促す力があるという伝承をどう使うかも含め、「遊びけり」の解釈は読者に委ねられている。
 句作りの際、感動の対象を理解して欲しい、という気持ちが強いとあれこれ説明を盛り込んでしまいがちである。情報を絞ることが想像の余地を広げる、その好例ではないか。(臼杵政治)