からからと鬼の笑へる寒さかな『震災句集』

 情け容赦のない現実を前にして、作者はこのように詠んだのだろう。
 東日本大震災が起きた当時の感覚や気分は、すでにだいぶ薄れてしまっているが、この句を読んでかすかに甦ってくるものを感じる。救いようのないものを目の当たりにしたとき、人は嘘でも何でもいいから、救いになりそうなものにすがりつきたくなる。しかし、すがりついてもどこかで救われないことに気づく。救いはない。むしろ、その現実を受け入れることができたとき、人は救われる。
 この句から、私はこの逆説を感じる。
 俳句は笑いの文学といわれる。それは決して笑えればよい、楽しければよいということではない。嘆くほかないような現実を笑いに転じる文学である。虚子は俳句を「極楽の文学」といったが、それはその裏側にどうしようもない地獄の現実を踏まえてはじめて極楽といえるのだ。だから、笑えるだけの俳句は「文学」とはいえない。俳句は、不快を快に転じ、不安を勇気に転じ、絶望を希望に転じる、そうした力を宿したときはじめて「文学」となる。
 この笑いは「大きな笑い」にはなりえない。なぜなら、誰にでもわかるものではないからだ。まさに「鬼の笑い」とは、そういうものではないだろうか。われわれは、この温もりも潤いもない、極限まで乾いた鬼の笑い声を聞くことができるだろうか。(関根千方)

 東日本大震災から一年以上たって上梓された『震災句集』。震災を冷静に見つめる俳句作品になっている。掲句は、12月に震災の年を振り返りつつ詠まれた一連の俳句の中にある。〈怖ろしきものを見てゐる兎の目〉〈からからと鬼の笑へる寒さかな〉〈生きながら地獄をみたる年の逝く〉〈つつしんで大震災の年送る〉〈震災の年のゆきつく除夜の鐘〉
 「からから」は軽い、落葉が風に吹かれて転がるような乾いた印象をうける連続音である。邪悪な鬼のイメージでは重々しい含み笑いが似合いそうなのだが、高笑いしていそうだ。「寒さかな」と断定、詠嘆している。笑っている地獄の鬼に「寒さ」を感じたのだろうか。ただ「からからと」と表現される乾いた笑いが、どこか滑稽な印象を醸し出している。
 掲句には「来年を思へば」の前書きがある。来年はよい年であるようにと祈りつつ詠まれたので、どこか明るさを感じる「からからと」の表現につながったように思えるのである。(木下洋子)