俳諧の腰強うせよ草の餅『虚空』

 掲句は句集『虚空』の第1章にある、2000年春の句である。その3月16日、作者の師である飴山實の訃報が届いた。その時の〈裸にて死の知らせ受く電話口〉が同じ章にある。飴山には10年以上にわたり師事し、作者の俳句を磨きあげる上で、大きな力となった。『虚空』には、次の第2章も含めて、亡き師を偲ぶ句が数多くある。
 掲句の季語は草餅。よく練るほど、粘り強さ、腰の強さが生じる。そこから転じて、俳諧、俳句における腰の強さを求めている。追悼句ではないとしても、師を喪った後、俳句の道に一人進む、その覚悟を詠んだ句であろう。
 腰の強い俳句とは何か。改めて結社古志「俳句の五カ条」を見ると、三つめに「古典に学べ、古典とは時を超えてゆくものの姿なり」とあり、四つめには「時代を超ゆるものを求めよ」とある。つまり、できるだけ長く、人々に読まれる俳句こそ腰の強い俳句であり、それを目指せ、と自らを叱咤しているのだろう。古志に学ぶ私たちも目指すべきところである。(臼杵政治)

 母子草または蓬を搗き込んで作るのが草の餅。若草色が美しく、草の香りは邪気を祓うとされる。丸く安らかな曲線を描き、春の山のようである。
 その「草の餅」と「俳諧の腰強うせよ」を取り合わせた一句。「俳諧の腰強うせよ」は、師から弟子たちへの言葉だろうか。腰は体の要。例えば、手や脚の華やかな動き、指先の細やかな表情といったものは必要だが、そういったことにとらわれず、姿勢や心構えこそ大事ということだろう。さらに、どんな方向からの力も受け止め、自らの力に変えてしなやかに、という思いが「腰強う」には込められているのではないか。ここまで考えると餅と腰がやや近い。
 私は、ただ春の喜びそのもののような草の餅がそこにあり、そしてそんな世界に俳諧もある、という句だととりたい。それは句集『虚空』が、大切な人を相次いで亡くした作者が、ただそこにあるもの、ただそこにいるひとへの言葉にならない思いを込めた句集だと思うからだ。(藤原智子)