自転車を担いで渉り水の秋『果実』

 自転車にまたがりペダルを漕ぐ。補助輪という鎖を解いて一人乗りができるようになると、世界の奥行きはぐんと広がる。東へ西へと自由は伸び拡がり、北へ南へと地図は更新されていく。身軽に、気の向くままに、どこへでも駆けていくことができる乗り物としての自転車は、自由とスピードを愛する若者の分身である。
 イタリアを中心とした芸術の前衛運動である未来派は、自転車の動きや速度に対して新しい意味を見出し、次々に作品にしていった。たとえば、ウンベルト・ボッチョーニの絵画《サイクリストのダイナミズム》は、画面を構成する色と形によって、自転車のスピード感がキャンバスから溢れ出てくる。
 掲句は、心に躍動と希望をもった青年が、乗り慣れた愛車で林間を駆け抜けてきたとき、自転車を乗り入れるには水量のある流れにぶつかった場面であろう。さらりと羅を羽織るように自転車を担ぎ上げ、躊躇することなく靴のまま川に踏み入れる潔さは、若者の活力を感じさせる。
 担ぐというからには、ごたごたと付属物がついた自転車ではなく、シンプルな細身の自転車が思い浮かぶ。必要以上の重みが出ないように計算された幾何学的なフレームは、空気の通りもよく、軽々と担ぐ姿は、いかにも爽やかな感じがする。
そこに「水の秋」である。足元を触れゆく水の感じも爽やかである。実に透明感があふれる光景である。(渡辺竜樹)

 大人になるより、上手に自転車を担ぐ方がずっと難しい。左手で慎重にフレームを持ち上げる。車輪やペダルが勝手に動かないように静かに右手を添える。そして腰と脚に力を溜めて、ゆっくりと全身で自転車を持ち上げる。
 担いでしまえばもうこっちのもんだ。少し首を前に出して自転車を背中で安定させると、やったという満足感が体中にみなぎって来る。「どうだ」と世界に宣言したくなる。
 どうして自転車を担ぐなんて気持ちになったのだろうか。背中でおとなしくなった自転車を感じながら考える。水があまりにも美しく澄んでいるから、自分の脚でその感触を確かめたくなって、乗っていた自転車を担いで川を渉ろうと思ったのだろうか。そうではないだろう。何故なら「渉る」ではなく「渉り」だから。
 大人になるなんて、自転車を担ぐより簡単なことだ。それを確かめたかった。そして背中で自転車を感じたときに、大人になんて簡単になれるさと納得した。そんな少年こそが「水の秋」ではないだろうか。そして少年は、担いだ自転車を木立に立て掛けて去っていく。大人という冬に向かって。
 『果実』収録の一句。この句は、ひとり西の方芦屋に住む西国篇と、東海のほとり藤沢に住む家族の居る東国篇の二つに分かれている東国篇にある。(きだりえこ)