五月五日の端午の節句に飾る兜。戦国武将は意匠を凝らし、兜の正面に立てた「鍬形」などの飾りで、その存在感をアピールした。だが、掲句の兜は、鉄でも革でもない紙である。紙では戦いに使えない。新聞紙などで親子一緒に作ったのかもしれない。読後感は優しい気持ちになる。ただ、一読した時は「めでたしや」は言わなくてもわかるから必要ないのではと思った。
昨年の春にロシアのウクライナ侵攻が始まり、武装した兵士や戦車、ミサイルで破壊された街などが連日報道され恐怖を覚えた。犠牲になった市民の中には幼い子どももいた。このように、一瞬にして戦争は起こるのだという現実を見せつけられ、戦火が絶えることがない世界を嘆いた。
今、掲句を読むと要らないと感じていた「めでたしや」に心からの祈りを感じるようになった。平和な日常はあたりまえなどではない。子どもの未来は守らなくてはならない。紙の兜がいい。そう強く感じさせる句になった。(木下洋子)
端午の節句のとき、新聞紙か何かで折った兜であろう。この「紙の兜」は飾りである。それをかぶっても、実際に刀で斬りかかられたら、ひとたまりもない。「紙の兜」をかぶって、戦場に出ていくものはいない。だから「戦せぬ」なのだ。
この「紙の兜」とは、「平和憲法」のようなものではないだろうか。刀で斬りかかられれば真っ二つ。銃弾を撃たれれば即座に貫通する。そんな「紙の兜」=「平和憲法」をわれわれは掲げている。なぜなら、憲法にあるとおり、われわれは、平和を希求し、国権の発動たる戦争を永久に放棄したからである。
今この「紙の兜」は八方から批判にさらされている。そんなもので国民を守れるわけがない、憲法を改正して、「鉄の兜」で武装せよと。昨年、ロシアによるウクライナ侵攻が起こり、国際的な緊張や対立が高まり、日本も戦争に巻き込まれる危険性があるというような世論が形成されつつある。2023年度の国家予算では防衛費は過去最大の7兆円近くに増額され、今後5年間で防衛力は大幅に強化されることになった。核武装を口にする政治家までいる。
いまこそこの「戦せぬ紙の兜」の力を忘れてはなるまい。(関根千方)