風出でて今宵の月の凄からん『初雁』

 読者は掲句からどんな情景を思い浮かべるだろうか。恐らくは、どこかの山峡、灯りもない闇の中、切り立った山影に風が吹き付けているような場所、例えば出羽三山のようなところだろうか。いや、中国の山水画の題材になる場所、例えば桂林の山々、あるいは三大霊山の一つである峨眉山が思い浮かぶ。
 前書きによればこの句は新潟の弥彦で詠まれ、『初雁』ではこの後に月の句が七つ続く。その中で掲句が異彩を放っているのは、風が雲を払い、山影に出た青白く冷たい満月の光が煌々と四方を照らす、この様子を「凄からん」と形容したからかもしれない。
 秋の月を季題とすると、真ん丸な形、明るい光から落ち着いた詩情を詠むことが多い印象がある。しかし調べてみると、白居易「聞夜砧」には〈月苦(さえ) 風凄(すさまじくして) 砧杵(ちんしよ)悲(し)〉という一節がある。また、西行の『山家集』には〈山深み真木の葉分くる月影ははげしきもののすごきなりけり〉という一首があった。これら古今の詩歌に歌われた、風吹く夜の月の不気味さ、「凄さ」を俳句の世界に展開した一句と言えよう。(臼杵政治)

 「弥彦、中秋の名月」と前書にある。弥彦は、越後平野にそびえる、標高634メートルの弥彦山のこと。山全体が弥彦神社の境内に含まれる。作者が新聞記者として、新潟に赴任していたとき、弥彦山は作者を包み込んでくれるような山だったのではないか。
 掲句は、中秋の名月の夜、弥彦山にかかる月を詠んでいる。明るく大きな月が高々と空を行く。風が出てくれば、月が薄い布をたぐり寄せるように、雲がかかることもある。そうかと思えば、月はまたその雲をさっと放つ。空を舞台に、山と、月と、風と、雲が無言で織りなす劇のようだ。人が見ていようと見ていまいと、夜をかけて続く。
 「凄からん」の「凄」には、人間の力の及ばない世界に対する敬意が込められている。しかし、「凄からん」の「らん」は現在起こっていることに対する推量の助動詞「らむ」だ。今宵の月は凄いだろう、ということだから、作者はこの月を観て詠んでいるのではない。かつて新潟赴任の際に観た、弥彦の月を思い出し、惜しんでいる。(藤原智子)