ミネラルウォーターのCMのような句である。上五中七下五すべてに「水」が含まれる語が使われていて、最初から最後まで爽快。遠くに見える雪山と、その雪解け水で口を漱いでいる人物の景も浮かびやすく、大変わかりやすい。言い換えればありきたりな句でもある。
遠くの雪山から口元へとフォーカスされるカメラワークは空間を広く使おうとしていて気持ちがいい。惜しいのは、山を奔りきた水の勢いが口元で止まってしまった点と、やはり最初から最後まで意外性がない点だろう。例えば高浜虚子の「流れ行く大根の葉の早さかな」は、どこまでも流れゆく葉が空間と時間の流れまで表現しているし、芝不器男の「山の蚊の縞あきらかや嗽」は、取り合わせに意外性があるだけでなく、句全体に生命力が満ち溢れている。これらと比べてしまうと、広い景を詠んではいるが、小さくまとまった句で終わっている。(森 凜柚)
清冽な印象を与える句だ。『虚空』の前後の句から推し量ると越後の雪解を詠んだものだろう。
まず注目したいのは「を」である。仮に「雪山より」であればどうか。たちまち散文化してしまう。経過を説明したいという気持ちが前に出てしまうのだ。「を」ならば雪山を奔る水の姿そのものに思いが及ぶ。何でもないように見えるけれども「を」の一文字が一句を引き締めているのがお分かりいただけると思う。
次に「奔りきし水」と「口漱ぐ」の間にある切れ。 散文ならばここに「で」が入るところだ。しかし、ここを切らなくては俳句にならない。それによって「口漱ぐ」という動作が詠嘆となる。
「口漱ぐ」とは「口の中を洗い清める」(『大辞林』)こと。まるで儀式のように清めるのだ。このほかに「名文を口ずさんで味わう」(『同』)という意味もある。とすれば、掲句は作者の古に学ぶ志を浮き彫りにしているとも受け取ることができる。(村松二本)