南禅寺山門に秋迫りけり『鶯』

 南禅寺は京都市左京区にある臨済宗南禅寺派の本山である。開山は無関普門禅師。開基は亀山上皇。足利義満の時に五山の別格上位に位置付けられた。
 三門(山門)は威風堂々たる姿をしている。山号は瑞竜山。「五鳳楼」と呼ばれる山門の楼上に登ることができる。そこからの眺めは素晴らしく、歌舞伎「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」では、希代の大泥棒石川五右衛門が追手から逃れ、「五鳳楼」に登ったところ、折しも周辺の桜が満開であった。「絶景かな、絶景かな」と感嘆する科白が実感を伴う。
 掲句は、山門に桜ならぬ秋が迫ってきたなと詠嘆しているのである。秋の一日、南禅寺で心静かに坐禅を組むのもいいのではないか。「秋来りけり」では、「そうですか」と報告に聞こえる。「秋迫りけり」と詠むことで文字通り、心に迫ってくるものがある。一番ふさわしい言葉を選ぶことができると、句が生き生きするのである。(木下洋子)

 南禅寺は、京都市左京区に位置する臨済宗の禅寺。有名な山門(三門)は、「天下龍門」とも呼ばれ、日本三大門の一つである。高さが20メートル以上あり、楼上からは京都市街を一望できる。歌舞伎『楼門五三桐』では、石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と叫んだ場所でもある。
 また、南禅寺の境内は自然豊かで、四季折々の風景を楽しむことができ、特に紅葉の季節には多くの参拝者が訪れる。なかでも離宮当時のおもかげを残した、鎌倉時代末期の代表的池泉廻遊式庭園は、京都三名勝の一つでもある。
 といいながら、私は南禅寺を訪れたことはない。過去にあったかもしれないが、ほとんど記憶にない。にもかかわらず、一読して秋の気配を感じてしまう。なぜそんなことになるのか。この句は、この南禅寺の山門に秋が迫っていることに気づいたといっているだけであり、どのような秋が迫っているのかは具体的に書いていない。むしろ描かないからこそ、想像がかき立てられる。
 もし南禅寺がどんな場所なのかを説明するような言葉を一つでも入れてしまえば、途端にこの句は報告におわってしまうだろう。この句は、読む人によって、読むときによって、その秋を感じるものが違ってよいし、違うからよいのだ。
 あなたにはどんな秋が感じられただろうか。(関根千方)

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