伊勢えびの髭すいすいと花の春『富士』

 「伊勢えび」と「花の春」と新年の季語が二つ重なり、なんともめでたい句である。
 伊勢えびは縁起物なので、この長い髭が大事で、刺し網から外す時細心の注意を要する。ところで「すいすいと」は本来軽快に前へ進む様子を表す言葉だが、この句の場合は、髭の長さを強調するために使われている。「花の春」と下五で受けとめることで、場面は正月、そしてこれからの一年の時間軸に移り、新しい年が「すいすいと」滞りなく進んでいくことを願う、言祝ぎの句となっている。
 作者は句会で、俳人はオノマトペの使い方が上手いのは当たり前で、もしオノマトペを褒められたら、他に褒めるべきことがないということだ、と言っている。しかし、掲句の「すいすいと」は、三次元の場面に時間の流れが加わった四次元的用法となり、さりげなく使われているが、見事な使い方だ。言葉ひとつでがらりと場面が変わり新たな世界が生まれるのが俳句のおもしろさだ。(齋藤嘉子)

 かつて熱海にあった割烹旅館「蓬萊」にかかわる旅の句集『富士』(2009年)所収。「花の春」は新年の美称。これからおせち料理に供される活きた伊勢えびの元気なさまを「髭すいすいと」と形容。蓬萊で正月を迎えた慶びを表現した挨拶句だ。同じ句集に〈初春や生きて伊勢えび桶の中〉という句もあるが、説明的で生彩を欠く。
 この二つの句には、新春のめでたさを伊勢えびという素材で詠む難しさがある。季重なりもややくどい。掲句は「髭すいすいと」が眼目だが、この擬態語が、弾むような調べを生み出すとともに、句の印象を軽くもしている。
 『富士』所収の食べ物の句では、〈煮凝やわだつみの塵しづもれる〉〈煮凝や今宵は海の音もなし〉のように、渋い題材の句の方が断然光っていると私は思う。
 歳時記を繰ってみても、伊勢えびに秀句は乏しいようだ。伊勢えびの姿・美味を俳句で超えることはさほどに難しい。(長谷川冬虹)