よき人の夢の中ゆく鯨かな『新年』

 掲句は万葉集の歌〈よき人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よよき人よく見つ〉(巻第一・二十七・天武天皇)の「よき人」の置き方に通ずるものがある。踏まえて詠まれたのではないだろうか。歌の「よき人(淑人)」とは皇后で、のちの持統天皇である。だから、掲句の「よき人」も傍らに眠る妻だろう。その夢の中を鯨が悠々と泳いでいるようだと言っている。鯨は作者なのか。妻を見つめる穏やかな眼差しとやわらかな空気が伝わってくる。
 天武天皇も作者も「よき」という言葉の力で妻を言祝いでいる。この人と生きてゆくという強い結束の気持ちがあってこその歌であり俳句である。
 掲句が万葉の歌を踏まえていると主張するのはいささか強引な感もあるが、掲句の収められた句集『新年』(2009)と同年に発表された著書『和の思想』の中で作者は「この国には太古の昔から異質なものや対立するものを調和させるという、いわばダイナミックな運動体としての和があった」と述べている。
 作者の時空を超えた大きな視点を考えると、「よき人」もダイナミックな運動体としての和と言えないだろうか。(髙橋真樹子)
 
 大海を悠々と泳ぐ鯨。その鯨が夢の中を進んでゆくというのだ。夢を見ている人は、大層心地よい眠りの中にいることだろう。まるで、鯨が「よき人」を選んで、その夢の中に現れたようにも感じられる。何らかの善行を積んだから鯨の夢を見ているのではなく、鯨の夢を見ていることこそが「よき人」の証しであるのだ。そして、その夢を見ているのは作者ではない。鯨の夢を見ている「よき人」を、作者がまた心に思い浮かべているのだ。
 このような不思議な感覚は、「鯨」の持つ何か人智を超えた存在感に加えて、上五中七の「よき」「夢」「ゆく」とヤ行が続く流れるようなリズムと、下五「かな」の余韻によるものであろう。
 掲句は、句集『新年』に、〈わだつみの眠りの中をゆく鯨〉の句とともに掲載されている。二句を合わせて読めば、海神が眠る静かな世界を泳いでいた鯨が、いつのまにか、人間の夢の中に迷い込み、ひと時遊んだ後に、また豊かな深い海へと戻っていくようでもある。(田村史生)