はかなしと聞き入る祇園囃子かな『初雁』

 「はかなし」は、あっけないということ。
 「こんちきちん」の祇園囃子は、鉦方、笛方、太鼓方からなる。7月初め、囃子方の稽古「二階囃子」が始まり、7月13日の山建、曳き初めのあと、宵囃子の舞台が整えられる。「この十三日の夜、そろいの浴衣に身をつつみ、全員うち揃って祇園囃子が始まった」(『祇園会』中村汀、平成17年)。
 16日の宵山にかけ、京都の夜は賑わう。「幔幕に飾られた町家、路上にひしめく露店。駒形提灯が鉾の形を浮かびあがらせ、祇園囃子が流れる」(同)。
 17日の山鉾巡行は、朝9時に始まる。「お旅所までは囃子もいわゆる『こんちきちん』のイメージと違って、荘重な、きわめてゆったりしたテンポの曲(後略)」(同)。「烏丸御池を過ぎると山鉾はそれぞれの町家に帰っていく。(中略)次第に囃子のテンポは早くなり、町家の前に来たところで最高潮になる。興奮のうちに囃子が終わると、今年の巡行は終了する」(同)。
 「はかなし」は、祭を惜しむ心。(藤原智子)

 季語は祇園囃子。7月に京都で行われる祇園祭の期間、約1か月演奏される鉦・太鼓・笛の演奏である。
 結社古志では祇園祭のハイライトである7月17日の山鉾巡行に合わせて、句会を開催している。掲句も2002年の祇園祭の際に作られた。
 句集『初雁』には2002年の祇園祭を題材に11句が掲載されており、その最初が〈炎天へ長刀鉾は揺らぎ出づ〉である。山鉾巡行の口火を切るのが長刀鉾ということなので、まさに山鉾巡行への期待と興奮を垣間見せてくれる。それに続く9句も鉾を詠んでおり、11句の最後に置かれた掲句になって初めて鉾以外が題材になっている。
 30余りの雄大で美しい山鉾が通り過ぎ、巡行が終わりに近づく頃、ずっと聞き続けてきた祇園囃子に心を寄せ、ああこの太鼓や鉦も鳴り終わるのかと淋しさを感じているのだろうか。「はかなし」という措辞の背後には、ハレからケに戻る時に感じられる、虚しさや頼りなさがあるような気がする。題材は全く異なるが〈春雪三日祭の如く過ぎにけり〉(波郷、『酒中花』所収)にも通じるような淋しさがある一句だ。(臼杵政治)