このあたり薫る風こそ歌枕『松島』

 旅の句集『松島』(2005年)の掉尾を飾る「松島」。閖上・塩竈・松島・奥松島での旅吟を収録。『おくのほそ道』の紀行は歌枕をめぐり、その所在を確認する旅でもあった。県名の由来となった宮城野をはじめ、宮城県にはとくに西行や能因法師ゆかりの歌枕が多い。
 掲句は『おくのほそ道』の「壺の碑」の段で、芭蕉が聖武天皇の時代に造られた、歌枕の壺の碑(多賀城碑、令和六年国宝に指定)と対面し、「山崩れ川流れて道あらたまり、石は埋れて土にかくれ、木は老いて若木に」変わるようなあまたの変遷にもかかわらず、この碑こそは「疑ひなき千歳の記念」「泪も落つるばかり也」と感激を記した記述を受けた句であろう。
 ドナルド・キーンも『百代の過客』の中で、芭蕉のこの一節を絶賛している。芭蕉の記述と感動に対峙して、作者は、地名や有形物、名所旧跡そのものではなくて、この薫風こそが、芭蕉が探し求めたはずの、時を超えた本来の歌枕なのだと断言する。字面こそやさしいが、大胆で挑戦的な句だ。(長谷川冬虹)

 作者は『「奥の細道」をよむ』(2007年)で、室町時代の歌人正徹の『正徹物語』の一文「よし野山いづくぞと人のたづね侍らば、たゞ花にはよし野、紅葉には立田をよむ事と思ひ侍りてよむばかり」を引用し、「歌枕が地上のどこかにある単なる名所旧跡ではなく、想像力によって造り上げられた名所であ」り、「人々の想像力に任せておけば、長い歳月のうちに吉野山が、松島が心の中に現れる。」と書いている。
 そして、作者は松島にいて、自分の「心の中に現れ」た松島を詠み、松島という地名を出さないことで逆説的に松島を称えている。句集を繰れば句の並び順からこの句が松島をよんでいることは読者には容易に分かり、「このあたり」の言葉に促されて、読者も自分の心の中に自分の松島を思い描くことが出来る。
 「薫る風こそ歌枕」と松島で感じる風を前面に押し出しているが、松島での風だからこそ何者にも代え難いのであり、また風を通じてかつてここを旅した芭蕉とも心を通わせている作者の姿が見える。(齋藤嘉子)