最初の「かかる」は、ラ行変格活用「斯かり」の連体形だから、「かかるところ」は、こんなところという意味。二つ目の「かかる」はある所からある所へと架け渡されていること。つまり、虹の橋が架かっていること。
ある日不意に、空に架かる虹に遭遇した。どういうめぐり合わせかと、静かに思う作者がいる。「生涯の」と自分の人生を俯瞰し、その時間軸のなかに、この日この時の虹の顕現を配置している。虹は人生の道程のなかで不意に顕れて、何かの予兆を思わせるが、この句には虹に希望と新しい展開を期待する心の躍動はない。どこか傍観者的に虹をながめている。ミュージカル『オズの魔法使い』では「虹の彼方に」(原題:Over the Rainbow)が歌われるが、虹の向こうの国では空がどこまでも青くどんな夢もかなえられる、と胸はずむこの歌詞のような希望は、この句にはない。
虹は突如として顕れ、はかなく消えるもの。それを知っている中年の、歳月のなかで組織された七色の架橋なのである。〈としをとる それはおのが青春を/歳月の中で組織することだ〉(ポール・エリュアール、大岡信訳)
深まる歳月のなかでみた虹は、ただただ美しい。(渡辺竜樹)
この句を一読したときふっと幸せに包まれた。何故なんだろう。「生涯のかかるところ」この表現がヒントになる。たとえばこれが「生涯のこんなところ」であればどうだろうか。きっと作者の個人的な虹との出会いを詮索してしまうに違いない。確かに場所と時間を示さないこの句からは、全体にぼんやりとした印象を受ける。
しかし「生涯のかかるところ」とおかれたことで、作者だけでなくこの句を読む私自身の「生涯のかかるところ」を想起させられた。自分がちっぽけで取るに足らない存在に思える時、努力が報われないと感じる時、「生涯のかかるところ」とは、そんな「ところ」ではないか。そしてそこに虹が見えたのだ。
空に大きくかかる七色は自然界からの素晴らしい贈り物。虹は私たちに幸福を与えてくれる。虹は心にもかかるときがある。「生涯のかかるところ」にかかる虹は、心の虹だ。
作者の十作目となる句集『鶯』には、2008年から2010年までの句が並ぶ。全体に明るくのびやかな句が多いこの句集が発行されたのが、2011年5月30日。そして東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故の後12日間の記録として『震災歌集』がまとめられるのが、2011年3月27日であることも忘れてはいけない。(きだりえこ)