『新年』は、『長谷川櫂全句集』刊行後の最初の句集である。新年には、改まる意味もあるかもしれないが、2005年から07年のそれぞれ新年への言祝ぎの句から始まっている。掲句もその一つである。
「をみな」は、古くは美人・佳人の意であったが、音変化してヲウナ・ヲンナに転じ、女性の一般名称となったと古語辞典にある。
「幸ふ」には「(さきは)ふ」とルビがふってあるので、これも古語「さきはひ(幸ひ)」である。「咲・栄・盛」と同根とあり、サキハヒは植物の繁茂が人間に仕合せをもたらす意から成立した語とある。なるほど「さきはひ」の語源を知ると、季語「初薺」の置き方の見事さが分かる。
「をみな」と囁いてみる。「おんな」よりも音が軽やかで優しく響く。「しあわせ」より「さきはふ」のほうが言葉が膨らみ広がる。詩歌では言葉の意味よりも、音の響きやリズムが大切であることを、この句は教えてくれる。新年の言祝ぎに相応しい句ではないか。
古来若菜摘みで詠われるのは殆どが乙女だが、ここでは成人の女性「をみな」を讃えている。老人子どもに幸あるためにはまず成熟した女性が幸せでなければいけないと、言外に受け取ったのである。(きだりえこ)
谷崎潤一郎『細雪』の四姉妹の名は知らなくても、世界で最初の大長篇小説を書いた平安時代の女性の名は誰でも言えるだろう。『蜻蛉日記』にしても『更級日記』にしても、あまたある日記文学の主要なものはすべて女性の手で書かれている。
我が国の文学史は、連綿として若く才能豊かな「をみな」らが目を瞠る活躍で現在までバトンを繋いできている。文学に限ったことではないだろう。卑近な日常生活においても、時代の流行の発信源には常に女性たちがいて、その興味関心の動向が、経済活動にまで影響を及ぼしている。それほどまでに「をみな」が豊かに栄えているのだ。かつては男性のスポーツとされていた競技においても、我が国の女性選手は世界を舞台に華々しい活躍をみせている。
この句は、男女平等といった抽象論を一旦横に置いて、のびやかに女性を讃美している。
正月七日の朝に若菜(ここでは薺)を入れた粥を食べると、万病を防ぐと信じられた古い時代からの風習を取り合わせたことで、時間軸を広く取り、女性の潜在的な豊饒さと、初々しい原初の息吹きに遡るだけでなく、日本という国の始めの生き生きとした姿にまで思いを馳せている。新年らしく寿ぎの清々しい気も満ちてくる。(渡辺竜樹)