立春大吉雪国に雪降りしきり『虚空』

 『万葉集』最後の歌は、大伴家持の〈新しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重け吉事〉。当時、正月の雪は吉兆とされていた。新年・立春・雪という三重のめでたさでことほぎ、『万葉集』は締めくくられる。
 これに呼応するように、掲句は句集『虚空』冒頭に置かれている。なお、「〜しきり」は家持の歌の「重け」と対をなす。長歌に反歌を付けるように、短歌に対して掲句は詠われたのではなかろうか。
 繰り返すが、ことほぎの句である。にもかかわらず、なぜか私には悲しく感じられる。句集を読むとわかるが、この年、作者は、大切な人たちの死に遭遇している。降りしきる雪は暗示的ではある。
 だが、悲しみは個人のものだけではあるまい。櫂は著書『俳句と人間』(岩波書店、2022)の中で、家持のこの「祈りの歌」に「漠然たる不安を感じ」、その不安とは「家持一人のものではなく時代を覆う空気だったかもしれない」と書いている。掲句の悲しみも世界の悲しみに通じているように思えてならない。自然災害、疫病、戦におびやかされる今、その悲しみは殊に胸に響くのである。(イーブン美奈子)

 人は言葉に導かれてはじめて歩を進めることができる場合がある。作者がこの句を詠んだ時、「立春大吉」まずそう措かなければそこに立っていることができなかったのかもしれない。しかしそこには雪が降りしきる。立春とは言っても雪国の春はまだ遠い。雪国に住んだことのある作者は身をもって感じている。
 私たちは人生でさまざまな決断の場を迎える。その決断に自信が持てない時もある。しかし降りしきる雪の後には本当の春が来ると思いたい。この句には作者のそんな気持ちが見える。私たちに対する時、作者は自信のかたまりのような人間である。しかし自信の裏には不安がある。それが人間だ。
 「立春大吉」は厄除けのお札でもある。作者のこころはその時、あるいはそのお札が除けるべき鬼になったのかもしれない。師を亡くし、父を亡くし、安定した収入源も放棄する決断をした作者が「立春大吉」のお札越しに降りしきる雪をまさに鬼の形相で見ている。そんな様子さえ目に浮かぶ。
 この句は2000年から2002年の句を収めた第五句集『虚空』の第一句目。前述のように、この間に作者は大事な人々を相次いで亡くした。そして2000年8月には1978年の新潟支局赴任から勤務を続けた新聞社を46歳で退職した。(三玉一郎)