迎鐘土の底よりきこゆなり『蓬萊』

 「迎鐘」といえば、京都市東山区にある六道珍皇寺を思い浮かべる。小野篁が冥界に通ったと伝わる井戸があり、あの世とこの世の分かれる「六道の辻」が六道珍皇寺の供養塔あたりである。六道とは、地獄道・餓鬼道・畜生道・阿修羅道・人道・天道の六種の冥界のことである。
 六道珍皇寺では、盂蘭盆の8月7日から10日に、「六道まいり」が行われる。先祖霊がこの世へ戻られるのを迎えるために迎鐘を鳴らすのである。迎鐘の綱を引くと鐘がなり、冥土まで届くと信じられている。実際に、迎鐘を鳴らしたことがあるが、遥かな冥土まで鐘が響くような感覚があった。
 掲句はシンプルな詠みぶりで、上記のような状況、感覚が蘇ってくる。盂蘭盆に感じるあの世とこの世のつながりを「迎鐘」「土の底よりきこゆなり」の表現から感じとることができる。
 迎鐘を鳴らした経験がなくとも、盂蘭盆ならではのこれらの言葉、表現を味わってもらえたら、「おしょらいさん」と呼ぶ先祖霊への思いを深くしてもらえるのではないだろうか。(木下洋子)

 幼少のころ、祖母が家のまえで迎え火を焚いていた様子をおぼろげながら記憶している。その時の感覚では、明らかに空から来る感じであった。たしかに死者の霊を招くとき、なんとなく空を見上げるのは、その名残かもしれない。
 あの世は地の底にあるのだろうか。日本の固有信仰では死者の霊は裏山に集まり、やがて祖霊として一つになるというから、あの世が地の底にあるというのは、仏教がもたらした観念かもしれない。私が育った東京の下町に山はないが。
 迎鐘(むかえがね)とは、毎年お盆の時期に催される、京都・六道珍皇寺の六道まいりで、先祖の霊を呼び戻すため鳴らされる鐘のこと。下五の終止形につく「なり」は伝聞。なので「聞こえるそうだ」という意味になる。
 われわれにとって、あの世は想像するほかないところだ。しかし、たしかに存在する。あの世のように、目に見えない世界を感じとるには、耳が最適だ。あの世とこの世はどこかで結ばれている。しかしこちらから確かめにいくことができない。できるのは、耳をひらいて、向こうの様子をうかがうことだけなのだ。(関根千方)