葉桜や水揺れてゐる洗面器『古志』

 満開の桜の花があっという間に散ってしまうとその儚さに宴の後のような虚しさを感じるが、それも一瞬のこと。瑞々しい若葉が出揃い、風にそよいでいるのが目に入るようになると、命の輝きを感じ、満開の花もいいが、この葉桜の瑞々しさ、美しさは格別であると思うようになる。
 掲句は上五の「葉桜や」で立夏を過ぎたころの輝く緑の世界が心にうかぶ。続く中七下五の「水揺れてゐる洗面器」で視点が外界の葉桜から目の前に移る。宿坊などで洗面をする朝の風景だろうか。蛇口から洗面器に水を注いでいるのか、掬った水の様子なのか。「揺れてゐる」には躍動感がある。静止した水に感じる沈思黙考ではない、心の揺れにも通じる。
 『古志』で掲句の四句前にある〈春の水とは濡れてゐるみづのこと〉の、春の水の本質を大きく捉えた詠みぶりとは対照的に、「水揺れてゐる洗面器」という限定した繊細な世界を詠んでいる。何気ないこの繊細さが読者の記憶を喚起し、様々な物語が生まれてくる。(木下洋子)

 目を閉じて想像してみる。時は初夏の朝、ここは庭に面した共同洗面場がある賄い付き下宿屋。硝子戸越しに配膳の気配がする。皿の触れ合う音に健康な空腹を感じる。でもまだ身体のどこかに夜の屈託が残っている。
 袖口をまくり慎重に蛇口を捻る。水は柔らかな透明の一筋となって洗面器を満たす。洗面器は清潔に洗いあげられた金盥でなければいけない。洗面器を満たす水が一瞬揺れているように思えた。
 すっと顔を上げてみる。いつの間にか桜の花はすっかり散っている。葉桜の緑に朝日がまぶしい。晩春の気配が少し残っている夏の始まりの朝を描いた小品のスケッチ。
 『古志』は作者31歳の第一句集。社会人としての生活に少し慣れだしたころだろうか。何者かになるという祈りと、何者にもなれないといういらだちの間で揺れ動いている。洗面器に揺れている水は、すがすがしい初夏の水でもあり、作者の心の揺らぎでもある。(喜田りえ子)