櫂三十一歳の第一句集『古志』の四番目に置かれた句である。ここには十代、二十代の句を纏めている。花を修辞する「大輪」「一重」を使い、春の満月を称えている句だ。
「一重なる」と言い切っていることから、朧月ではなく、早春のくっきりとした月だろう。さらに「なり」では単なる描写だが、「なる」で止めることにより、春の月を柔らかく自分の心に呼びこもうとしている。心に大志を抱き月と対峙している青年の櫂が目に浮かぶ。明日は故郷を離れ東京へ旅立つのかもしれない。
中村汀女の〈外にも出よ触るるばかりに春の月〉は同じ春の月を詠んでいるが趣きが違う。汀女は結婚後十年間俳句から遠ざかった後、俳句を再開した時この句を詠んだ。他の人より先に句会を辞した汀女が外へ出て、月の見事さに思わず句友達に呼びかけた時の句だ。
櫂の句は人を寄せ付けない厳しさが、汀女には親しい人達と共にいる喜びがある。
俳句には自ずと作者の背景が入り込んでくる。(齋藤嘉子)
作者の第一句集『古志』(1985年)の四句目に収録されている。若々しく、みずみずしい。大輪の花のような華やぎがある。やや朧げではあるが、一重だと言い切る決然とした潔さ。俳人長谷川櫂の出発を告げているような句である。登場するのは、春の月だけという一物仕立て。技巧に倚らず、奇を衒うこともない、直截で素直な発見の句だが、春の月ならではの情感を的確に捉えている。
後年60歳台半ばに〈さまざまの月みてきしがけふの月〉(『太陽の門』所収) と詠むことになるが、作者が詠んだ月の句の中でも原点に位置する、格別の月が掲句と言える。〈きさらぎの望月のころ實の忌〉〈春の月大阪のこと京のこと〉(『虚空』所収)は、ともに作者46歳の折に、亡くなったばかりの師飴山實を追悼した句である。月にはおのずと時間の経過と物語性がある。
初期の掲句もまた、その後の月をめぐる作者の句のコンテキストの中に置き直してみると、俳人としての生涯を予告するような句だったことに、あらためて気づかされる。(長谷川冬虹)